ナラティヴ

今は火曜日の夕方、冬空はもう暗くなって外はかなり寒くなってきた。午前中は学校訪問をしてその関連の仕事をして終わった。お昼は久しぶりに友人と駅で待ち合わせ、昼食を共にした。所沢の駅近辺は開発が進んで、都心の賑やかな姿そのものになってきた。駅の改札口が2階なのでそのまま歩いて、ショッピングとレストランのビル街に入っていった。駅からそのビルまで大勢の人たちが行き交っているので、なぜこんな平日にと目を疑ってしまうほどである。友人は初めてだったのでびっくりして駅周辺の変容ぶりに目を見張り、どこか非日常的な感覚だった。自分もこのビルに入ると、ここはどこだろう、大人の遊園地か食事街か、その巨大な広さと多様な料理の種類に、迷子のようにキョロキョロしながら歩きまわった。建物の中なので、昼間なのか夕方なのか夜なのかの区別すらできない。巨大な迷路の中で、どこかワクワクしながら昼食を注文した。台湾料理あり韓国料理ありインド料理ありと、ここはアジアの多国籍食堂街かと思いながら、天丼屋カツ丼屋寿司屋うどん屋などの日本料理の定番には目もくれず、韓国の石焼ビビンバと生ビールを注文した。本当は寿司でも食べたかったが、何かこの巨大なレストランモールの雰囲気に馴染まないような気がして、しかも平日の昼間なのに生ビールを飲んだ。少し早い忘年会かと思えばなんでもない、巨大なビルの中のこのエリアは外の世界と遮断されているようで、自分の立場も年齢も忘れて、大勢の人たちの一部になった。周りを見ると文字通り老若男女でいっぱいで、この時間に学校はどうしているのかなどと思ったが、野暮な詮索は止めよう。たぶんこの空間は非日常で、そこに浸りたくて好きな料理を食べながら束の間の幸せを味わっているのだ。忘年会もどきの昼食会は話がはずみ、あれやこれやと現状報告やら愚痴やら嬉しいニュースなども語って時を忘れた。河岸を変えて別のビルでコーヒーを飲みながら、話が終わるのを惜しむかのように話をし、次の再会を約束して駅の改札口を入った。こんな昼食会は久しぶりだった。昨日も都内で会議があり夜の忘年会もあったので夜遅く帰宅したが、今日の友人との2人だけの昼食会兼忘年会は少し意味合いが違った。昨日は仕事の続きの懇親会であるが、今日は仕事を離れ自分の今の境遇や事情を語り合う本音の語り、専門用語でナラティヴとでも言えばいいだろうか、誰でも人に語って聞かせる物語を持っている。それが伝わる時、人はカタリシスを感じ心の雑草が刈り取られるのだ。2人の出した結論は、なんだ大したことではない、贅沢な悩みかとつぶやいて苦笑いした。実際はそうであるかもしれないしそうでないかもしれない、どちらであってもそうして前を向いて頑張って世を渡っていくのだ。新聞に、庭先のコスモスの花複雑な家の事情も全て呑み込む(井上誠一)の句があった。我々の話は、周囲の人は大勢いたが、誰も聞きもせず興味もないのだが、その周囲の人の存在が大切なのだ。庭先のコスモスの花なのである。非日常的な空間の中で、人は自分を語り人の話を聞くのである。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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