気づく

今は土曜日の夕方であるが、外は真っ暗で夜である。いつものことながら土日の休日は、スポーツジムに行って汗を流している。この寒い日でも、プールで泳ぎ、屋上にあるジャグジーで冷たい風に顔を当てながら体は温泉のような温かさで、なんと贅沢なと思いながら浸っていた。屋上といっても2階なので、ジムの周囲にある木々が上から眺められるような高さであるが、まるで新宿のような乱立するマンションを遠くに眺めていると、セレブになったような気持がする。帰り道は西方向なので、今日は夕焼けではなかったが、灰色の雲が空を覆って太陽が当たっている雲のところだけ白く輝いて、その周りだけ青空が見えた。まるでそこだけ明るい未来を象徴しているようだった。しかし風は冷たく、さすがに冬の寒さが体を襲ってきて、道行く人はほとんどコートなどを羽織って、寒さを避けていた。もう12月なのだから師走なのだ。スポーツジムに行くと、入口のすぐ近くにクリスマスツリーが飾ってあって、あーもうそんな時期なのかと背中を押されるような気持がした。予定していたことがあまり出来ていないのに、月日だけは几帳面に間違いなく過ぎていき、いつの間にか年を重ねていく。すでに年賀状じまいをしているのでその心配はないが、まだ仕事のつながりがあって、この時期にはお歳暮をいただくので床の間に重ねている。あまり役立つことをしていないのに申し訳ないような気持ちで、お礼の葉書を出している。葉書代も切手代も値上がりしていることを知らず、投函した葉書が戻ってきた。世の中は物価高で生活が苦しくなったとテレビなどで報道しているが、実感として分からなかった。葉書が戻ってきて初めて値上がりを知った。主婦はスーパーで買い物を毎日のようにしているから、値段の上げ下げについては敏感だが、自分はこの点については鈍感であり素人である。人は何かのきっかけでその意味を知るのかもしれない。新聞に、亡くなっていると思っていた人を訃報が一瞬生き返らせる(たろりずむ)の句があった。まさにその通りで、そうだったのかと思い返すことは誰でも経験しているだろう。葉書が戻ってきて初めて値上がりに気づき、お歳暮をいただいてもう年末が近くなってきたのか、クリスマスツリーを見て大掃除をいつにしようかなどと考える。この前も朝起きたら喉がガラガラするような感じがしたので、ふと見ると加湿器の水が空になっていた。人が気づくということは、何らかの出来事がきっかけになっているのかもしれない。それは自分以外の他からのメッセージなのだから、教えてもらったとも言える。これを研究や仕事に当てはめてみれば、これは良いアイディアだと思っても、自分が生み出したものというより、他から気づかせてもらったという方が正しいのではないかと思う。ということは、いろいろな業績を上げたとしても、その大部分は他からヒントをもらい、自分のオリジナルな部分は、かなり小さいのではないか。振り返ってみれば、自分のかなりの論文はその通りではないかと思った。気づくということは凄いことなのだ。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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