スポーツ

今は土曜日の夕方、今週を振り返ってブログを書く時間である。と言っても頭の中にこんなことをと言うネタがあるわけでもなく、ただパソコンの画面に向かっている。先ほどスポーツジムから帰ってきたばかりで、帰宅して家内がむいてくれた柿を食べて、2階の書斎に上がってきた。スポーツジムに行く前は、どこかけだるく今日はどうしようかなどと思うのだが、帰ってくると気持ちは軽くなり、今日も良い日じゃないかと思うから、その変わりようにはびっくりする。多分脳内ホルモンが出て元気になるのだろう。帰り道は西向きなので夕日に向かって歩いてくるのだが、今日は風が強く冷え冷えとしてまるで年の瀬のようだった。街路樹の葉っぱがかなり落ちて、その光景を見ていると冬そのものである。しかし自分の気持ちは、こんな寒い日でもスポーツができて良かった、明日も行こうと思うから前向きなのである。午前中に読んでいた文献に、次のような分類があった。動機付けのレベルで、無動機は〇〇したくない、外的調整は仕方がない、同一的調整は〇〇すべき、内発的動機づけは〇〇したいと書いてあったが、妙に納得した。今日の自分の気持ちは、外的調整から内発的動機づけまでレベルが変化したことになる。動機付けすることは大変難しく、言葉だけで人を動かすことは不可能に近く、いくら言っても同一的調整レベルぐらいだろう。そもそも人は言葉では納得しないのである。幼い子供は素直に聞くが、大人になれば内言化するので、言うことを聞いたふりして内心では別の事を考えている。これが大人社会の様相で、国レベルの予算折衝から家庭での小さな決め事まで、ほとんどが言葉で説得しようとするのでなかなか難しく複雑なのである。そこで多くは、エビデンスつまり証拠を出して交渉することが多い。それが数値的なデータであれば、反論が難しいので仕方なく認めることになる。それはいわば論理的な説得である。しかし今日の自分のように、行動レベルで気持ちが変わることの効果の方が大きいのではないか。だからあまり難しいことを考えず、とりあえずやってみよう、そこから考えようという方が現実的ではないだろうか。同じく今日午前中に呼んだ文献でも、理屈で考えて論理的に議論してそれに多大の時間を使って、結局何も始めることができず、何も止めることもできないという曖昧な意思決定が日本では行き渡っているので、国も企業も学校も世界から見ればおかしな国と映るのではないかと書いてあった。文脈は遠く離れるが新聞に、温厚な人と言われる老いわれの心の歯ぎしり人には知られず(金子哲夫)の句があった。誠に日本人らしい読者で、本心を自分の胸の中に抑えて世間を渡ってきたのだろう。誰もそれを批判することはできない、そうしなければ長い人生を大きな波風を立てないでここまで来れなかったのだろう。なるほど文献でも自分の経験でも割り切れない世界が、この世の中かもしれない。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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