今は火曜日の夕方で、午後5時を過ぎると夜になる。書斎の南向きの窓から見えるマンションは、碁盤の目のように規則正しく灯りがついて、子供たちはもう家の中に居るのだろうか。灯りを見ると、どこかホッとする。今日は何をしたのだろうか、午前中はいつものことながらデスクワークで、午後はセレモニーがあって市内に出かけた。教育功労者表彰式という、どの市でもあるようなセレモニーだった。自分は市内のある学校の評議員を長くやっているせいか、表彰を受けることになった。この年になると賞状を渡す役はあるが、受け取るのはどこか気が引ける。今日の表彰式は大勢の人たちで賑わった。中でも小中学生もいて、県大会とか全国大会などで好成績を挙げた生徒たちが、年配の大人たちに混じって参加していた。何しろ功労者というだけあって、若者はいない。お年寄りと呼んでもよいような年配者であり、中には歩くのも少しおぼつかないような人もいた。このようなセレモニーでは、男性はスーツにネクタイをし、女性の中には和服姿の人もいた。自分もあまり好きではないネクタイをして、かしこまって参加した。1時間半の儀式はかなり長いのだが、まさか式典中スマホを触る訳にもいかず、じっと時を過ぎるのを待っていた。外は晴天の秋晴れで気温は低かったが、100人ほどが入るホールは、秋の日差しが入り込み温かかった。癒し系で眠気を誘うような静かな音楽が流れ、なるほど儀式とはこういうものかと思った。その中でもひと際目立つのは、先ほどの生徒たちである。その空間だけその表彰を受ける時間だけ、輝くような場面に変わる。まるで劇場にスポットライトが当たるような感じがした。そうか生徒はエネルギーの源泉なのか、人生を長い間生き抜いてきた年配者は、エネルギーを使い果たして湧き出るものがないのかと思った。不登校の文献を読んでいたら、心のエネルギーが欠乏したから不登校になるのだと書いてあったが、自分はあまり納得できなかった。子どもや若者はどんな状態であったとしても、湧き出る源泉を持っている。そのエネルギーの放出の仕方が違っているだけなのではないかと思っている。どんな子どもも光り輝く宝であり未来に向かっていけるエンジンを持っている。文脈は離れるが新聞に、ピアスの子夜学の一番前の席(寺村洋子)の句があった。どんな生徒なのだろうか、ピアスを着けていようがいまいが、この子は一番前の席で授業を聞いて、未来を見ているのだ。こんな仕事をしたい、自分はこうなりたいと思っているに違いない。今日のセレモニーで表彰を受けた生徒も、ピアスを着けている子も、花も実もある青春時代や活躍できる人生が待っている。子どもたちはスポットライトを浴びて演技をする役者であり、我々年配者は座席で舞台を眺めて拍手を送る観客である。今日の表彰式のセレモニーに出て、ふとそんなことを思った。
