自由自在

今は土曜日の夕方、書斎の窓から見る空はもう真っ暗である。今日もつつがなく日が暮れて、一日が終わる。自分の休日の過ごし方は、およそ決まっている。現役の頃と違って、休日があるようなないような、平日との差がはっきりしない。午前中は書斎で、今日は審査系の仕事を主にして、午後は少しの畑仕事をした後スポーツジムに行って、今ブログを書いている。スポーツジムに行く予定は土日なのだが、イベントなどが入ることもあるので、先週から金土日の週末を当てることにした。といってもなかなかすべて時間が取れないので、多分平均的には月に6日~8日ぐらいだろうと思う。会費を支払っているからという思いと、このぐらいの運動をしないと体力が弱り健康が維持できないからという理由で、予定表に入れている。誰でも似たような考えをして、毎日を過ごしているだろう。午前中はデスクワークで、審査の仕事で面白い論文に出会い、今日は良い事があった、お店の商売をしている人であれば、今日は良いお客が来て売上が伸びたというような感覚だろう、なんとなくほほが緩むような時間を過ごした。しかしそんな嬉しいことばかりではない。今朝送ったメールを思い出して、あれは強く言い過ぎた、自分はなんと浅はかなことをしたのだろうかと悔やんだ。多分誰でも似たような経験があると思うが、なぜか後になって気になり、まずかったなどと思って反省するのである。もっと忖度してメールを送れば良かったなどと思う。しかし反面、いつまでも胸の中に気掛かりなことが残っていれば、それも苦しい。本当にどうすればいいんだろうか。インフルエンザの予防接種をするために、かかりつけのクリニックに昨日行った。その時待合室にテレビがあって、心理学者が似たようなテーマで解説をしていた。たしか相手は自分が思っているほど気にしていないのだというような話だったと思うが、人間社会はまさに気を遣いながら生きているようだ。もっと自分の気持ちに沿って、あっけらかんと表現した方が良いのかもしれない。新聞に、空を飛び地面を歩きとび跳ねる嫌われカラスは人より自在(代靖子)の句があった。確かにこの句の通りだ。憎まれっ子世にはばかるのことわざ 通り、そういう人の方が世間では活躍して幅を利かせているようだ。しかしどちらが良いとも言えない。カラスを羨ましいとは思いつつも、そうはなりたくないと、自分は思うからである。ということは、自分のありのままの生き方で良いと認めるしかないのか。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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