今は火曜日の夕方、書斎の窓から見る空はもう真っ暗で、先ほどまで西の空が茜色で夕焼けだった。明日も良い天気なのか、昨日も今日も秋晴れの暖かい日で、11月とは思えないような気温だったので、外に出かける時長袖のシャツが暑かった。今日を振り返ると、ほとんど大したことはしてないのだが、それでも忙しいと思うのはなぜだろうか。午前中は教育センターに協力して学校訪問し、そのコメントを義務ではないのだが律儀に書いて送るとちょうど12時になる。この前の秩父温泉に行った時食べた秩父蕎麦が忘れられなくて、今日のお昼は近くの手打ち蕎麦屋に行った。ざるそばが自分の好みなので、というか蕎麦の美味しさがよく分かるからなのだが、美味しい蕎麦だった。週に一回蕎麦の日を作るからと、家内に告げた。その後も仕事やら色々な用事があって夕方になった。何事もなく平穏といえばその通りで、今所在なく昔のことを思い出したりした。新聞の俳句や短歌の掲載日は月曜日なのだが、昨日が休刊日となり今日になった。自分の机には2台のパソコンがあって、左のパソコンでブログを書き、右のパソコンの画面には、自分の気に入った俳句や短歌が表示されている。これらの句を読んでいると、いろいろなことが浮かんでくる。目を引いたのは、夜学子へ階段に置く握り飯(村野則高)の俳句だが、撰者の解説がないので文脈がよくわからない。勝手に想像すると、夜間の学校に通う生徒なのか大人なのか、夜間中学なのか定時制高校なのか専門学校なのか、作者の身内なのか下宿している他人なのかもわからないが、2階に住んでいるのだろう、階段を下りてくる時におにぎりをそっとおいた作者の気持ちが伝わってくる。この句を読んで、自分が高校教師だった時のことをふと思い出した。剣道部の顧問をしていたことがある。前任校では弓道部の顧問だったが、剣道は素人なので町の道場に夜通っていた。子供も2人いたから、なんともちぐはぐな光景なのだが、夕食後では竹刀を振れないので、出かけるときは家内がおにぎりをくれたことを、この句を読んで思い出したのである。若い時は、ただただ前を向いて進んでいたのだ。剣道がうまくなりたいというわけではなく、少しでも技術を身につけておかなければ、教師として生徒の前に出れないからである。高校なのになぜか修学旅行が京都だったことがあった。生徒たちは自主的に見学するのだが、恥ずかしながら自分はそんな経験がなかった。幼かった子供たち2人を連れて、4人で京都の1泊2日の下見旅行をした。それはまだ若かった頃の思い出で、自分もまっすぐに高校教師を生き抜いていたような気がする。今自分がだらけているというわけでもないが、あの頃は全力で走っていたのだ。穏やかな一日が終わる頃、まるでドラマのような眩しいような時代を思い出した。人生のページが終わりになるまでは、平凡だが悔いのない生き方をして表紙を閉じたい。
