予定外

今は日曜日の早朝、異例の時間のブログなのだが、昨日は帰宅がほぼ夜になって、書く時間がなかった。なるべく土曜日中にという気持ちはあったが、どうしても予定通りいかなかった。金曜土曜と2日間にわたって、ある教育団体の大会に参加して、土曜日はそれでも少し早めに帰ったのだが、夕食の時刻になった。参加する前は正直に言うと、あまり乗り気ではなく、できれば両日ともなるべく早く帰宅したい思っていたのだが、金曜日は懇親会があったので夜遅く、土曜日は上記の通りであった。こんな小さなことでも、頭の中は予定通りに事を運びたいという思いが強く、いろいろ試みていたのだが、現実にはその通りにはならない。そしてふと思う、こんな小さなことをどうして人は予定に固執するのだろうか、日曜日の早朝にブログを書けばいいではないかと思い至るのに、時間がかかった。金曜日も懇親会に出るかどうか実は迷っていた。大会の責任者に、申し訳ないが懇親会は失礼させていただきたいと言ったのだが、懇親会場が凄い会場だからと、あなたは招待だからという声に引きずられて、参加した。この週末の2日間を通じて学んだことがある。それは予定は未定であり変わることにも意味があるという、平凡のような非凡のような知恵である。昨日ブログを書いていれば気が楽だったかもしれないが、ただそれだけで夕食が遅れれば家内に叱られる。金曜日の懇親会では素晴らしい経験をさせてもらい、大勢の人と情報交換でき本当に良かった。そして何よりも思ってもみなかったような素晴らしい研究成果をもらった。どんな研究発表でも実践発表でも、聞き方や受け取り方によって天と地ほどの差がある。なぜかそれは予測できないのだ。土曜日も研究発表の教室を間違えて参加したが、振り返ってみるとそこから気づくことがありヒントをもらった。そうかそうだったのか、それは予定外の出来事だった。昼食でふと挨拶を交わした先生方がいた。詳細は書けないが、そこから予想外のアイディアが浮かんだ。ブログで書くと、なんだそんなことかと思われそうな小さなことなのだが、自分にはそれが無性に嬉しいことだった。他人が聞けば意味のないことでも本人にとっては宝のような気づきがある。今日は日曜日、朝食を済ませたらすぐに衆議院選挙の投票に行く。結果はどうなるのか天のみぞ知る。予想通りなのかそうでないのか分からないが、そのどちらにも大切な意味がある。土日のイベント会場で大勢の人たちと名刺交換をした。昔と変わらないなあと、よく言われたが、あえて言えば自分はまだ燃えるものがある、やってみたいことがある。文脈は異なるが新聞に、あの頃に戻る気がするそれ故になお捨てがたき古き名刺も(飛田多恵子)の句があった。たぶん世間の年配者はこの通りだろう。しかし今の自分は古い名刺は見たくもなく、過去を懐かしむ気持ちは皆無である。そもそも名刺にあまり興味がない。今、やるべき仕事があれば、健康であれば、家族がいれば充分である。それはすべてが順調という意味ではなく、波風のある生活であるが、まだ舟を漕いでいて、先に進んで、どんなことが起きるのか見てみたいという意味である。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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