セミナー

今は土曜日の夕方、と言っても新幹線の中である。先般も金沢に出張して、新幹線の中でブログを書いたので同じ状況である。岡山からの帰りの新幹線なので、仕事が終わって気が楽である。歳を取ると、ハラハラドキドキはもう御免で、ワクワクしなくてもいいからユッタリとかノンビリが良い。長く生きていれば、いろんなことが起きて、その経験をしているから、少々のことでは不安になったり悲観したりしないと思うのは、嘘である。若い頃と同じように、いつもブログで書くように、さざ波のように、絶えず小さな心配事や、ほっと胸を撫でおろすことが、起きてくる。昨日の夕方まで所属団体の会議の仕事があって、都内の事務所で参加したが、オンラインなのだが、いつもより少し参加人数が少ない。こんな小さなことでも、どうしようかと不安になる。自分は司会役なので委員の皆さんよりも気を遣うが、意見交換会の時間になって、ふと思った。せっかく人数が少ないので、議論を多くしようと思ったら、次々に的確で本質的な意見が出てきて、終わってみれば、これまでにないような有益な会になった。そうか、参加者が少ないことは、不安になることでも悲観することでもないのだ。昨日の夜岡山に着いて、今朝からほぼ夕方までセミナーに参加した。午前中に自分の出番があった、と言っても司会役だったので、発言時間は短いので、気楽だと思っていたら、今朝になってホテルで、いや待てよ、このスライドでは論旨が嚙み合わない、数枚を作り直そう、と思って、修正した。今日の本番になったら、発表者のプレゼンが素晴らしく、いつの間にかその世界に入り込んだ。始めに話すイントロはそのままだったが、後半のスライドは今朝作り直した1枚だけを提示し、すべて見せずに終わった。参加者からの評価というか、満足度はたぶん良かったのではないかと思う。それは、2人の発表が、胸に飛び込んでくるような内容だったからである。終われば、もう心配はないのだ。教育の発表は、結局人間とは何かを追及しているような気がする。それは自分を含めた3人の一致した感じ方だったと思う。文脈は違うが、新聞に、みすゞ読む秋の日差を栞(しおり)とし(小町季生)の句があった。金子みすゞの「みんなちがってみんないい」は誰でも聞いたと思うが、それはこの言葉に誰でも共感するからだろう。この作者は、みすゞの本を読んでいて、ページを閉じようとした時そのページに秋の日がこぼれた、という句で、情景が目に浮かぶ。秋の良い天気に読書をしながら、夢中になって、その世界の人になった。本を閉じようとした時、秋の日差しが入ってきたことに気が付いた。その光景は、自分の今日のイベントに似ている。夢中になって分からなかったが、終わった時、自分は現実の会場の人になった。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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