今は連休明けの火曜日の夕方、書斎から見る南側の空は、昼間の溢れる日差しの光景と違って、空全体に雲が広がってマンション群を包み込んでいる。つい先ほどオンラインの審査系の仕事が終わった。今日は朝から先ほどまで休憩する間もなく気を抜く暇もなく緊張しながら神経を使いながら、ようやくほっとする時間がやってきた。連休明けは大抵がこんな状態になるのは、連休で緩んだ糸をピンと張るような仕組みなのだろうか。ピンとしつつも時には緩やかにという繰り返しで、この世の中はバランスが取れるのだ。それでも何故か都合の悪いことが繰り返して続くことがある。ブログといえども面白くないことやプライバシーに関わることは書きたくないので、詳細は書かないが、ここ数か月いろいろなことがあった。なぜこんなに嫌なことが続くのか面白くないことが続くのかなど、嘆くことがあった。しかしそれは、世間ではどうも小さなことらしい。家内に聞くと、近所の噂話や趣味の会での友達などの家庭や生活の状況を聞くと、そんなことは当たり前、それが生活そのものだと言う。そうか自分だけではないのかと、多少安堵する。しかしなんといってよいのか、1週間ぐらい前にその不幸続きというか天からのバッシングというか、そんなことがピタリと無くなった。自分の本音は、禊が終わったのだと思った。何を古風なと思われるかもしれないが、本心である。この世の中には、論理や理性で割り切れないことが続けて起きる。何をやっても好ましい結果が出ないことがある。しかし、ある日を境にベストタイミングになることがある。例えば文献を読んでいて、欠伸ばかり出そうな本であったとしても、あるタイミングでふと本質が見えることがある。そのページを境にきらめくような知の泉に触れて、宝物を見つけた子供の心境になる。それまでは時間つぶしとか何の為なのだと後悔することが続いていても、あるページを境にして逆転する。まるでカードが裏表になるのだ。カードであれば悪いカードばかり続くことは自然ではない。確率的にあり得ないのだが、人の世は自然ではないことが、起きるようだ。だから常識で割り切れない。ただ好転する日を待って努力するしかないのか。それまでは禊だと思うしかないだろう。 新聞に、猛暑にもいつかは秋がやってくる大渋滞を抜け出るように(武藤義哉)の句があった。誰も経験しているように、大渋滞に巻き込まれるとただ待つしかない、待つ時間は禊なのだ、世の中はそれでもうまくできていて、いずれ大渋滞を抜ける時がやってくる。空いている道路を運転すると、口笛を吹きたくなるような開放感で満たされる。確かに猛暑もいずれは秋に変わる、不幸続きもいずれは幸福に変わる、逆も当然ながら起きる。しかし人は自然を変えたいという欲望を持っているから、幸福がずっと続くことを願っている。禊が終わった現在、特にそう願う。
