歳を取っても

今日は火曜日の夕方ではなくて、昼間である。この時間にブログを書くのは夕方に都内で役員会があり、1時間半後に出かけなければならないからである。先週も昨日もいろいろあったが、今感じるのは、都合の良いことも悪いことも、いろいろあることがありがたいのだ。このブログでも何度もそんなことを書いているが、そのように実感する。先週のブログで、土曜日を火曜日と勘違いしていて、携帯でふとしたはずみに読んで、ミスに気付いて修正した。年をとるとこんなことはよくある。気づくのが遅いけれども、すぐに対応するとなんとかなる。携帯でミスに気づいたのは、真夜中でベッドからトイレに行って帰ってきた時で、何気なく自分のブログを読んだからである。ブログを読み返すことはほとんどないのだが、なぜか気になったのだろうか。多分直感的にどこかおかしいことがあると、潜在的に思っていたのかも知れない。そういえば大体朝5時に目覚ましをかけているが、ベッドから離れるのが時に億劫になることがある。特に今朝のような気温が低くなると、威勢よく飛び起きるなどということはない。そんな時いろいろ考え事をしたりするのだが、ほとんどは仕事のことで気に掛かることである。あの資料は修正を少しした方が良いとか、メールをあの人にも出しておいた方が良いとか、小さなことなのだが、起きると居間に行って顔を洗う前にメモしておく。ほっておくと忘れてしまうこともあるが、それよりも気付くことをすぐに実行すると効率が良いからである。手帳にすぐにメモすることもあれば、ベッドの棚にあるメモ帳にメモすることもあれば、スマホに音声入力でメモする場合もある。いずれにしても外部出力しておかないと、脳のキャパシティが小さくなっているので、どこかに行ってしまうのである。その気づきも、実はかなり重要な情報を含んでいる場合がある。気づきとは意識の水面下にある無意識層から浮き上がってくる情報なので、自分が気にかかっていることが多い。それはネットで調べたり文献を読んだりして得られた知識ではなく、自分のオリジナルな知識を含む場合がかなりある。今朝もそんなことで、メモを片手に午前中資料づくりをした。その資料は自分が気づいた考えなのだが、作成中に変形して行く場合もあり、最後になってみると無意味な場合もある。しかし打者で言えば3割以上の打率で狙いと外れていない場合が多い。とすればそれは優れたバッターである。今日は自分とすればヒットだった。野球選手と同じように、そんなときは年甲斐もなく口笛を吹きたくなる。そうかまだ俺も大丈夫かなどと、妙にくすぐったいような感じで、昼食が終わっても、その資料をどうしても見たくなる。何度も言うが、それは小さな小さな自分だけの喜びである。ただそれは3割と書いたように、毎回というわけではない。文脈は離れるが新聞に、わが女孫(めまご)ほどの女医さん笑顔にて年齢(とし)より若いと褒めてくれたり(斎賀勇)の句があった。前のブログでは、女孫を孫娘とふりがなをふってしまったが、読み方がわからなくてネットで調べてそのとおり書いた。今日の句はふりがながふってあった。それはともかく、歳をとっても何か良いことがあったり、人から褒められたりすると、自分にも自信が出てきて嬉しくなるのだ。この作者も、お世辞であってたとしても、自分もまだ若いと嬉しくなって、短歌にして投稿したくなったのだ。そう思えば、子供でも大人でもそしてお年寄りでも、人は健気なそしてどこかシャイな一面を持った可愛らしい生き物である。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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