曼殊沙華

今は土曜日の夕方、ただ今日は一日中小雨が降って肌寒く、秋の長雨の言葉通りの天候であった。昨日は金曜日だったが、午後に日高市にある曼珠沙華公園に行った。今日行きたかったのだが、天気予報は雨であり、多分今日は花もだいぶ萎れているだろうと思って昨日行ったのだが、こんなにも多くの人がと思うぐらい、公園の中は人であふれていた。毎年老夫婦2人で電車で行くのだが、今年も行って良かった。赤い曼珠沙華が群生している様子は、この世のものではないような別の世界がそこにあるようで、しかも花の命は短くての言葉通り、多分来週には色あせて公園も閉めるだろう。自分の目的は一面の花の美しさを愛でることもあるが、花より団子の例え通り、公園内の出店で売っている鮎の塩焼きを食べることだった。この味は絶品で、ほろ苦さと川魚の気品ある優しい味が一緒になって、毎年の事ながら忘れがたく今年も賞味したかったからである。今年は特に子持ち鮎だったので、大振りでその味を堪能した。そして歩き疲れたせいか甘味も欲しくなり、地元で作られたアイスクリームを食べた。これがまた、甘味は別腹と言う通り、美味しくて美味しくてまるで子どものように食べ歩きをした。年をとったら、どこかに人生の折り返しがあるかのように、精神的に子供のような感覚に戻るらしい。もちろんそれは個人差があり一般論では無いが、美しいものを見て美しいと感じ、美味しいものを食べて幸せだと思い、運動をして汗をかいて心地良い一時を感ずるのは、子供のような素直な状態なのだろう。曼珠沙華公園の側に高麗川が流れている。その河原で、多分遠足なのだろう、赤や白や青の帽子をかぶった何百人という小学生が昼食を食べたり川の中に足を入れたりはしゃぎ回っていた。そんな子供の姿を見ているとこちらまで嬉しくなる。世の中に出れば、そうはいかないよ、色々あってねなどと野暮なことは言うまい。今が幸せならばそれで良いのだ。少し文脈が離れるが新聞に、9月から看護実習あるからと女孫はピアスの穴をぼやかす(椎名昭雄)の句があった。女孫(まごむすめ)も看護実習が始まれば、世の中の第一歩を踏み出すことになり、否応なく厳しい目が向けられる。ピアスをしていたことを見破られないように、孫娘なりの気を使って、準備している。それを優しく見守り、無事に実習が終わるように、そして少し成長していると、どこか心が弾むような、誰かに自慢してみたいような気持ちなのかもしれない。幼稚園や学校はすべて見守られているが、世の中はそうではない。競争の世界であり、自分で自分を励ましていくしか手がないのかもしれない。無数の曼珠沙華の花は、始めに書いたようにこの世ではないような気がする。実は一昨日まで忙しく厳しい仕事があって、それがようやく片付いたので、身も心も解放したかったから、赤く咲き誇る花を見て癒しを求めていたのが本音であった。それも良いだろう。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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