秋の夕暮れ

今は火曜日の夕方、南の窓から見える空は白い雲が浮かんでいるものの、薄青色の空は秋そのものだろう。久しぶりに火曜日にブログが書けるのは嬉しいが、明日から大阪に出張があって、しかも早朝なのであまり気が休まらない。今日もいろんなことがあった。メールを見れば、いつものことながら嬉しいニュースもあれば気が重くなるような知らせもある。多分人は、いつもワクワクしながら喜んでばかりはいられないのだろう。石破さんの総理大臣就任も、テレビを垣間見る限り、自民党内の人間関係が邪魔をして、色々複雑な心境らしい。手放しに喜んでばかりはいられないのが、この世の中らしい。明後日大阪から帰宅すると、すぐに審査系のオンラインの仕事が待っていて、その準備に午前中はつぶれた。明日の夕方は、ホテルで自分がホスト役のオンラインセミナーがある。明日の昼間はイベントがあって、と言ってもあまり気乗りがしないのだ。その理由をこのブログで書くわけにはいかないが、それでも頑張ってやってみようと思う。人はいつも自分の背中を自分で押して、元気づけているようだ。それが普通の生活だと思う。それでも南の空を見て秋らしい雰囲気が漂っていると、ふと心が休まる。この後お風呂にも入るが、お風呂場の窓の外に小さな植物が生えていて、そこから秋の虫の声が聞こえてくる。淡い空の表情や涼やかな虫の音色や、夕方にはもう肌寒くなるような空気や、西の方角の空は茜色と青色のグラディエーションなどが、総出で自分を癒してくれるようだ。特にこれと言って困ったことはないのだが、そしてこれと言って嬉しいことも無いのだが、なんとなくけだるく、なんとなく時が過ぎていく。自分はこのまま仕事をし生活をし、生きていけばいいのだろうか。こんなことを考えるのも、穏やかな秋の夕暮れのせいだろうか。たまにはそんな一時に身を委ねて、何も考えないで過ごすのも処世術の一つだろう。しかしほとんどの時間は、頑張れという自分の声に励まされて過ごしているのかもしれない。それが不幸かと言えばそうでもなく、多少の緩やかな坂道を上るようなもので、いつも下り坂の楽な道であれば、それはそれで少しも楽しくないのではないだろうか。とすればそれでよいのだ。新聞に、病室のイヤホンで聴く八代亜紀リハビリ前の大事な時間(小山田郁彦)の句があったこの作者は、リハビリをする前は、よしという気合いを入れないと、なかなか腰が浮かないのかもしれない。大好きな歌手の歌を聴きながら、自分で自分を言い聞かせ、頑張れ頑張れと病気と闘っているのだ。この作者も自分も、いやほとんど全ての人が、そうやって毎日を過ごしているのかもしれない。そして、ゆったりとした心が空っぽの時間がやってくる。たぶんそれは、努力している人への神からのご褒美なのだろう。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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