新米の季節

今日は水曜日の午後、この変則的な時間にブログを書くのはもちろん事情があるからだが、昨日の夕方はオンラインの会議で時間が取れなかった。昨日はなぜか朝から夕方までいろいろな仕事で詰まって身動きが取れなかった。人は他人から頼りにされたり仕事が入ってきたりすると、それだけで嬉しくなって後で時間の調整がつかず苦労することになる。まあそれも良いだろう、オファーが来れば自分の存在を確かめることができて、多少の自信も起きてくるからである。このブログで何度も書いているように、胃腸炎の病気になって苦しんだが、正常に戻ったので何の問題もないだろうと思うが、実はそうでもない。約1週間ほど運動してないのだ、運動しないと汗をかかず、汗をかかないと新陳代謝が不足して、食欲も減り、なんとなく元気が出てこないのである。そうすると、ほとんど因果関係はないが、自分に飛び込んでくるオファーやメールが、自分の都合の悪いことが多いのだ。そんな馬鹿なことをと思うのだが、どうもこの数日の出来事は、自分にとって頭の痛いことばかりであった。病気はするし仕事は思いどうりにならないし、とかく浮世は暮らしにくいなど、呑気なことを言っている場合ではなく、詳細は書けないがどうしようかと思った。こんな時、人はどうやって乗り切るのだろうか、SNSや新聞などを見ると、人それぞれに難しい問題を抱えてなんとか取り組んでいるようだ。能登地方の方には誠に申し訳ないが、テレビのインタビューで、もう立ち上がる勇気が出てきません、と言っていたが、ただただ同情するばかりである。自分などは、もうとても生きて行く自信がなくなるほど落ち込むだろう、その人たちのことを思えば、自分などは何を文句を言っているのだと、一笑にふしてしまう。それでもいろいろなことが起きると、身体的には健康になったとしても、精神的には少し弱くなっているのかもしれない。たぶんこれは運動不足も効いているだろう。今週は無理だが、来週の土日は久しぶりにスポーツジムに行こう、そして精一杯汗をかいてプールで汗を流すのだ。今の生活パターンは、体調は戻ったとは言え、デスクワークばかりで、聞こえは良いが頭脳労働だけなので、気持ちを発散することがないのだ。それがどうも蓄積しているらしい。若い頃自分が今の年齢ぐらいになった時何をしているのだろうか、多分悠悠自適で庭いじりをしたり、近所を散歩したりなどの夢を見ていた。そんなことはなかなか起きないのだ、というより、そのような生活もまた精神的には苦しいだろう、いろんなことがあっても自分はまだ社会とつながっているから、なんとか頑張っている、いや頑張らせてもらっている。新聞に、新米を詰められ袋立ち上がる(江川千代八)の句があった。名句である。なるほど袋は立ち上がったのではなくて、立ち上がらせてもらったのだ。秋になって新米の季節になり、お店にお米がいっぱい詰まった袋を見ると、新しい季節が来たとか、いつまでもつまらんことを考えてはいけないとか、この袋も新米を背負ってお客様に買ってもらう時を待っているのか、などと思う。過去のことは過去であり、起きたことにどう立ち向かっていくかが、自分の仕事である。新米の袋を見るとなんとなくそんな元気をもらうような気がする。この世は努力を積み重ねるしか生きる方法はないのだ。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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