今日は火曜日の夕方、ではなく昼の時間である。夕方にオンラインの打ち合わせが入っているので、時間の空いている今の時間にブログを書く。といっても実は頭がまだはっきりしていない。この前のブログで書いたように腹痛で苦しめられた。実はこの三連休中ずっとお腹が痛くて痛くて、便が出なくてどうしようもなく、書斎の机の横にあるベッドに寝転んだり、1階の居間に毛布をかぶって寝転んだり、人は自分がもっとも楽な姿勢になることを探している。日曜日なので当番医を探して検診してもらい、薬をもらった。その薬は痛み止めと便秘の薬であるが、多少効果はあるのだが、少しずつ徐々にというか、急変するものではない。だから夜中が苦しい。体の向きを変えたり楽しい考え事をして気持ちを紛らわせたりするのだが、お腹が痛いということは現実であり、その現実を変えるような効果はない。痛み止めには睡眠剤が多少入っているのか、飲むと多少痛みは和らぐが眠くなって仕方がない。寝れば良いのだがそこが自分の強情なところで、三連休中にやっておきたい仕事があって、それが背中を押してくる。何とかしてこの審査系の仕事を、この連休期間にやっておかなければ、後で苦しむことになると思うと、書斎の机に向かって書類を読みながら、うとうとした頭で横にあるベッドに倒れ込んで、うたた寝をする。今自分は何をしているのか、全力をぶつけることができないもどかしさと、いつまでこの痛さと戦うのか、明日が見えない苦しさに唸っていた。食欲がまったくなく、だるさは全体に広がり、どうなっているのだろうかと、当番医の医者に聞いても曖昧な返事しか返ってこない。家内に聞いたらひょっとしたらコロナウイルスではないかと言われた時は、ドキッとした。もしそうだとすると、今日9月17日からは通常の仕事なので、外出することができない、どうにもならない切羽詰まった状況になったが、それでもできることを少しでも努力するしかないのだ。これまでどんな病気にかかっても食欲だけは旺盛だったが、今回は全く食欲がなくなった。家内が出すのはお粥のようなもので、朝昼晩と続くともう勘弁してほしいという気持ちになる。しかし時がたてば、いずれ人は快方に向かう。今朝9月17日火曜日朝にかかりつけのクリニックに行って診断をしてもらった。ウィルス性胃腸炎だと診断し、いくつかの注意事項とともに、薬を頂いた。今日は平日なので朝からオンラインの会議がある。お昼にも夕方にもオンラインの打ち合わせがある。お腹が痛いだの頭がぼーっとしているだの、そんな甘えは許されないのだろう、ホームドクターに診断してもらった安心感と仕事のもたらす緊張感のほどよいバランスの中で、自分は何をすべきかがようやく見えてきた。まだ大丈夫、これからだ、できる限りのことをすれば、世の中は捨てたものではない、現実お腹の痛みはほとんどなくなった、これからずっと快方に向かう。あの三連休のことを思えば、今はなんとありがたいのだろう。神や仏がようやく許してくれたのだろうか。文脈は離れるが新聞に、仙人になりたる気分冬瓜汁(秋岡実)の句があった。3日間のお粥の食事は、文字どうりこの句のような気分であった。とうがん汁はどんな味と言われても、答えようがなく、甘いのか辛いのかもわからず、ただただふわっとした感じで歯ごたえがあるのかないのか、まるで仙人の食べる食材だと読むのも同感する。お粥も同じで、食べたという実感が弱く、仙人というより当たり前だが病人になった気持がする。こうして人は浮世を渡っていくのだろうか、苦しい時も楽しい時も、さざ波のように打ち寄せては消え、ときには大きな波に翻弄される時もあるが、それでも今生きているということは、それを乗り越えてきたことの証拠である。少しぐらいのことで後ろを向いてはいけない。
