夏の終わり

今は火曜日の夕方、といっても少し遅い夕方なのだが、書斎の窓から南の空を見ると、うろこ雲なのだろうか、薄い雲が同じような形をして浮かんでいて、鳥の群れが東の空から西の空に飛んでいくのが見えた。昼間に用事があって外出したが、気温は秋どころか、夏それも夏真っただ中の気温であった。しかし自然はよくしたもので、夕方の今は、見るからに気温も下がり、外も涼しそうで、鳥の群れも優雅に西から東へ巡回していた。いろいろな出来事がやってきては終わっていく、そのたびにどうしようかとハラハラドキドキしながら、終わってしまえばほっと胸をなで下ろし、ああ良かったと一息つく。今日も午前中からいろいろあった。定例の早朝の草取りから始まり、市内の学校訪問そしてその記録、午後のいくつかのオンライン会議などをこなして、私的な用事で駅前に出かけ、帰ってきてメールを見ると、懸案だった案件が二つ片付いていた。おお良かった、投げ出さないでよかった、事態は動いていたのだ、そして別のメールを見て、急にオンラインの打ち合わせが数分後に入っていた。奇跡としか言いようがないような仕事上の重要な打ち合わせで、5分前にメールを見たばかりだった。そして矢継ぎ早に説明と質問を受け、次へのステップに繋がった。それを受けて明日の夕方、オンラインでの打ち合わせを急に設定することになった。なるほど、世の中動いている。待ってはくれない、もっとゆっくり時間が経てば良いのにと思っても、それは自分の世界の話である。世の中は大勢の関係者がいて、お互いが繋がりを持ち、なんとかベストの方法を模索している、つまり自分だけではないのだ。事態は急転して止まったり好転したり転落したりの繰り返しである。ここ数か月の間にいろんな出来事の展開を経験して、自分の都合どうりにはいかないことを学んだ。しかし止まったりあきらめたり落ち込んだりしていただけでは、事態は動かない。どのようにもがいても好転しないことはある。それでも人は最善だと思う手を打つしかないのだ。それが天に届くのか事態を動かすのか、目に見えない繋がれている糸を頼りに、暗中模索を続けるしかないのだ。そして波の上にぽっかりと探し物が浮かんでくるように、問題解決することもある。今日は二つの解決したメールを見て、それがささやかな小さなことであっても、自分は心の底から感謝した。しかしまた一つ問題が出てきて、今も取り組んでいる。それでよいのだ、人は常に問題に出会って、解決しようと努力する存在なのだろう。新聞に、球審の右手あがって夏おわる(青木公正)の句があった。喜びで終わる球児もいれば、悔し涙で球場を去っていく選手もいるだろう。ひとりひとりの夏が今年も終わり、9月も早や半ばとなろうとしている。自分の夏はどうだったのだろうか、喜びと不安が入り交じった夏舞台を降りて、秋の季節に踏み出そうとしている。ふと南側の空を見ると、もう真っ暗な夕闇になっていた。新しい明日がやってくる。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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