今は金曜日の夕方、書斎の窓から見る南の方角は、薄青い空をバックに白い雲が浮かんでいる空の下に、高いマンション群が見える。1つは外壁の修理をしているのだろうか、鉄パイプのアングルを組んで、あの巨大なマンションを全て包み込んでいる。週末の明日の夕方にブログを書きたいところだが、土日に学会があって、明日朝早く自宅を出なければならないので、今書いている。実はスポーツジムから帰って来たばかりなのだ。仕事やら出張やらで土曜日曜日が潰れて、1ヶ月以上もスポーツジムに行っておらず、明日からもしばらく行けないので金曜日の今日出かけた。正直言うと、どこか背中を突かれているような気がして、スポーツジムに行く途中も堂々と歩いていないような感じだった。何もそんなことを考えなくても良いのだが、平日にスポーツジムに行くのが、小さないたずらをして見つからないようにこっそり家に帰る子供のような心境なのだ。何もそんなに堅苦しく考えなくてもよいではないかと、誰でも思うだろう。そこが自分の堅苦しいところであり、まだ教員気質が抜けないところでもある。小学校から大学まで、教員は規律を守り規則正しく生活するという信条があるのかもしれない。その方が気持ちが落ち着くからだが、家族や世間から見ればなんと融通の利かない堅苦しい人間なのだと思うだろう。久しぶりにスポーツをして、いっぱい汗をかいてプールでさっぱりして帰宅する時の心境は、今日はジムに行って良かった、汗を流して良かった、顔の真正面に照り付ける西日のまぶしささえ、どこか心地よかった。そしてふと思った。金曜日だろうと木曜日だろうと、時間が空いてる時にスポーツジムに行けばよいのだ、何故自分はこんな風にルールを決めたがるのだろうと考えた。思えば、電車に乗っても飛行機に乗っても、何か研究か仕事に関連した活動をしていないと、背中がむずむずするような気がするのは、1種の病気だろう。世の中の価値観は変わってきている、スポーツジムに行くのは平日でもいいではないかと思えば、気が楽になる。いや、すべてのこと、自分の苦手なことや思い通りにならないことであっても、いいではないかと思えば平然と対応できる。というよりその方が自然なのだ。そういえば、この頃自分にとって都合の悪いことが頻繁に起きて、気が滅入っていたが、ジムからの帰り道、そうだそれでいいではないかと思ったら、肩の荷がすーっと軽くなった。新聞に、籐椅子の父の凹みを拭き上げる(大橋松枝)の句があった。この読者はお父さんが長く座っていた籐椅子の凹みを丁寧に磨き上げて、優しかった父親を思い出しているのだろうか。そういえば自分の父親も、家族が何か困った事があっても、心配しなくていいよ、それでいいではないかと、よく言っていた。その言葉を聞くと、大きな揺り籠に揺られているような気持ちになった。本当にありがたい父親であった。
