悔やむこと心配すること

今は9月2日月曜日の夕方、書斎のパソコンの画面に向かっている。明日火曜日の方が良いのだが、午後から夜までいろいろな仕事が入っており、この時間に書いている。あっという間に時間が経って、気がついてみれば夕方で外はまだ夏の天気だが、心なしか、やさしい風が吹いて気持ちだけは秋の訪れを感じる。振り返ってみればこの1ヶ月いろいろなことがあり、やきもきしたり不安になったり落ち込んだり、そして最後にはホット胸を撫でおろすようなことの繰り返しだった。雨の予報が輝くような天気になって喜んでみたり、心わくわくするような現代風にアレンジした民謡を聞いて感動したり、家族や身内のことで心配してみたり、文字通り人は一喜一憂しながら生きている。海外という非日常の世界に浸って、異文化を体験して仲間の大切さを実感したり、今日は月曜日なので日常の世界に戻って、オンライン会議やら打ち合わせやら、さざ波のような心の浮き沈みを潜り抜けて、1日が暮れようとしている。海外に行っても、大学では脳をフル回転させて内容を理解しようとし、それでも分からないときは、自分の浅学に引け目を感じたり、小学校に行けば、小さな子供たちが一生懸命プログラミングに取り組んだりネットワークで調べたりする光景を見ると、大人と違って瞬間瞬間を楽しんでいるように見える。大人は先が見えるからか、不安な予測があったりすると、瞬間瞬間を楽しむどころか、うーんと考え込んで心配したりする。8月31日にメルボルンから帰国したが、飛行機の中で、ある本を読んでいた。いくつか自分の胸に突き刺さるような言葉があった。その一つはマインドフルである。その意味は、先の子供のように瞬間瞬間に心のすべてを投じて、気づきを得て行動することだと解釈した。こうしてみると自分はマインドフルではなく、瞬間を生きていない。それどころか仕事の合間に雑念が浮かんできたりすることもある。座禅は経験したことはないが、心を空っぽにして、逆の意味でマインドフルなので、迷いはないのかもしれない。もう一つの言葉は、自分が失敗したりうまくいかなかった時に、そうだ今はちょうど良いタイミングなのだと、自分に言い聞かせることである。なるほど、これは思い当たることが多い。現代人は子どもも大人も、人間関係に頭を悩ませ苦しむことが多い。この本はきちんとした専門書であるが、自分にはどこかホッとする本だった。文脈は離れるが新聞に、ランドセルを置いてすぐさま秋の空(久保田洋二)の句があった。学校から自宅に帰ってランドセルを放り出すように置いたら、すぐに友達の所に行くのか、約束事があるのか、玄関から飛び出していった。まるで真っ青な秋の空に吸い込まれるように走る様を見ると、この子供の心には、先のことを心配することも過ぎたことを悔やむこともないのだ。ただただ友達の所に行く喜びだけで走っているのだろう。経験を積んだ大人には真似ることはできないが、この本の解説は、大人もそのように生きよと言ってるように読めた。たぶん自分には実践は難しいだろう、しかし言いたいことは分かる、その通りなのだ。この1ヶ月いや数ヶ月を振り返ってみると、悔やむことも心配することも全く無かった。自分で勝手に作っていたことに、今になってようやく気がついた。それだけで、前に向く元気が出てくる。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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