アイデンティティー

今日は火曜日の午前なのだが、夕方に時間が取れず、今の時間にブログを書いている。夕方には科研費による研究で、仲間の3人、自分を入れて4人が、成田を飛び立ってメルボルンに行くので何かと気ぜわしく、今の時間になった。といっても午後1時ぐらいには自宅を出るので、書く時間がかなり短く、簡単な日記風のブログになる。8月も後半になるといろいろなイベントや仕事が入ってきて、9月からの正規のスケジュールの前兆戦のような時期である。昨日も午前中に近隣の学校での研修会があって、講演をした。それは自分の正規の仕事のようなもので、そのために労力をかけ準備をし自分の知識を埋め込み、そして昨日はその成果の反応を見る日であった。反応を見ると書いたが、文字どうり自分にはそのような気持ちである。科学者であれば実験をしてそれがうまくいくかどうか、ディレクターであれば映像が予定したとうり出来上がっているか、教師であれば生徒の反応が思いどうりであったか、と全く同じである。大学で教えていた現役の頃は、そんな感覚はなかった。絶えず学生との研究打ち合わせや、学会での発表論文の作成、そして授業をこなしていたから、研修であったとしてもその発表は特別なものではない。しかし今の自分には、それは特別なイベントである。普段はほとんどが会議やら打ち合わせやら理事会などの形式的な審議などが中心の活動なので、自分を表現する、つまり自分が自分であることを認識する、そのあり方は講演であったり原稿であったり論文などで表現して、そこに自分のアイデンティティーを確かめるのである。それは規模の大小を問わず、自分の証を再確認する活動なので、重要なのである。そんなことで今日は準備で色々忙しく、時間は無いのだが、時々昨日の講演内容が頭をよぎり、あれは良かった、もう少しここはこういう表現が良かったなど、いまだに頭の半分ぐらいを占めているようだ。ただメルボルンへの出張も研究活動の一環で楽しみな海外調査であり、自分以外の3人の優れた研究者のおかげで、なんとかここまで来れた。心配していた台風もどうやらまだ太平洋にいるらしい、神はまだ我々を見放していないのか、ならば十分な成果をあげられるように精一杯の努力をしたい。それは講演よりもっと大きな影響力を持つ活動なので、帰国予定の8月31日まで脳を全開させて、皆さんと共に充実した活動にしたい。文脈は離れるが新聞に、炎昼や口髭の濃きケバブ売り(桜井俊治)の区があった。街中や祭りなどで、この俳句のような姿をよく見かける。この人も精一杯頑張っているのだろう。どんな仕事であれ自分のアイデンティティーを確かめるような仕事であれば、それは天職と言ってもよい。天職とは、幸せという言葉の代名詞でもある。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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