予想外れ

今日は土曜日の夕方、ではなく早朝である。そして自宅の書斎でなく、阿寒湖のすぐ前のホテルの部屋でこのブログを書いている。夏の旅行で老夫婦で北海道にやってきた。北海道は、若い頃も老夫婦になってもレンタカーを借りて旅行したので、主な観光地はすでに訪問していたが、今回は知床半島と釧路湿原が中心で、遊歩道等を歩いて探索するのが主な目的でJTBのツアーに申し込んだ。これまで行ったことがなかったので、お盆が終わったこの時期の2泊3日のツアーに申込み、ラッキーに大勢の人が集まって実施された。昨日は念願叶った知床の湖まで50分ぐらいの歩行時間であったが、周囲がクマザサに覆われ、青い空と白い雲を見ながら、綺麗に作られた木道を散策すると、大きな自然の懐にすっぽりと自分が包まれているような感じがして、解放感でいっぱいになった。昔と違ってレンタカーで広い北海道を回る元気はなく、バスに乗って、皆さんといっしょに観光するのも、また楽しく味わいがある。バスに乗っていると、野生のシカを見ることができる。彼らもこうして自然にさかわらず共存して生活しているのだ。しかし自然は時にして大水害をもたらしたり、酷暑の日差しを投げつけたり、そのたびに人は右往左往する。ただし、じっと待ってるのではなく、何とか対応して科学技術の力を借りる。今回の旅行は天候に恵まれた。天気予報だと、北海道は3日間とも雨の予想だったが、昨日も一昨日も雨は降らなかった、というより昨日は全くの晴天だったのだ。そして今日も朝から青空が広がっている。これは奇跡というか、まったくの予報ハズレというか、嬉しい誤算と言ってもいい。物理の法則はすべてを予想することが原則だが、このような大規模な自然現象には力不足である。さらに分子原子のようなミクロの世界では確率的にしか予測できない。ということは、人の世界の出来事と少し似ている。科学の世界も冷たいものではなく、迷いもあれば予想が外れることもある。極論すれば、一寸先のことも予想することはできない。ならば人はどうするのか、テレビやインターネットなどの情報やニュースや人の評判、つまり何らかのエビデンスを集めて予想するのだが、それは完全ではない。ならばそこに直感を併用することも妥当だろう。添乗員さんが自分は晴れ男だと言っていた。文脈は離れるが新聞に、簾(すだれ)してきのふの遠くありにけり(中村重雄)の句があった。済んでしまったことはすだれの向こうに隠れたかのように、無くなってしまうのだ。昨日の開放感あふれる散策も、思い出としてしか残っていない。思えば過去は過去、今日一日をまた予想しながら進んでいくのだ。それがまた人にとっては生きて行くことの証なのである。予想しては外れ、そして出来事はすべて過去として過ぎ去っていく、そしてこれから先をまた予想しながら、良いと思う道を歩んでいく。今日もいい日でありますように。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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