今日は火曜日の夕方、と言っても暑い暑いと言う方が今日の天気に合っている。ともかく暑さ真っ盛りの午後1時半に、駅に出かける用事があって、と思ったら、日傘無しではと家内に言われて、幸いに男女兼用の日傘があったので、それを持って出かけた。クーラーの効いた自宅に戻ると、これはもう地獄に仏のような気持ちになる。冷えた水を飲みアイスを食べて、子供のようにニコニコしていた。それでも今朝は早起きして、太陽が出ない間に庭の雑草を取った。実は早朝の草取りは、この頃の日課になっている。20分もすれば汗びっしょりになって、そのまま浴室でシャワーを浴びると、これもまた生き返ったような気持ちになる。当たり前だが、灼熱の太陽を浴びたからクーラーが仏様のように感じ、汗びっしょりだったから、シャワーが女神のように思えるのだ。先ほどオンラインでの短いインタビューがあって終わったのだが、今日は比較的活動の少ない日だった。こんな時はブログで何を書いたらいいんだろうかと、平凡ながら考える。月曜日の朝刊に歌壇欄があるので、昨日は気に入った句を写真にとった。その中に、書き出しが決まらず揺らすペン先も遠くへ飛ばす素振りのひとつ(あきやま)の句があった。この作者は、短歌を新聞に投稿しようと思って、ペン先を揺らせながら一句ひねっていたのだろう。文才のない自分には、どのようにして句を詠むのか分からないが、自分に語りかけ、脳のあちこちにある言葉を呼び出し組み合わせて作るのだろうか。新聞に掲載されるぐらいなので、人の心を打つ調べがそこに内在しているのだろう。ブログは単なる公開日記なので、自由に書き出して筆の向くままに、ほとんど計画もなく、駄文を連ねている。それでも文章の終わり頃になると、なんとか辻褄があってくるのは、自分でも不思議で仕方がない。論文であれば、計画・展開・結論のような文法が決まっている。ほとんどの作品、俳句短歌詩小説など、どれをとっても、始めにきちんと計画を立てて書くとすれば、論文と変わらない。ただ自分はそうではないのではないかと思っている。いや論文でさえ、書いている内に考えが動いていくのだ。まるでそれは生き物のように、自律的にゴールに向かって進んでいくような気がする。だからこの短歌の作者も、ペン先を揺らせるのは、きちんとした計画を立てるというより、自分への応援というか、ソクラテスの産婆術のようなものかもしれない。自己対話している内に知が生まれるように、筆を走らせている内にストーリができてくるのかもしれない。作家や国語や教育の専門家が読めば怒られそうな、あまり意味のない独り言を書いて、このブログを終える。
