今は土曜日の夕方、いつものブログのように、スポーツジムから帰って書斎に上がって一息ついたところである。スポーツジムへの行き帰りは、猛暑というか太陽の照りつける日差しが尋常ではなく、日陰を探しながら歩いていたような気がする。梅雨が明けて本格的な夏がやってきたのだ。何を書こうかと思ったが、実は昨日の夜が大変だった。ペットボトルとスマホを持って2階の寝室に上がるのだが、スマホが見当たらなかった。そんなはずはないと思って、家内のスマホで電話をかけてもらった。1階では何も音が聞こえない。2階には書斎と寝室と別の2つの部屋があるのだが、どの部屋からも全く音がしない。まるで雲をつかむような話で、こんなことがあるのだろうかと、家内と話をしたが、どうにもならない。昼間に草刈機で庭の掃除をしたので、草刈機を格納している物置なのかと思い探したが、ここにもない。どこかゴミにまぎれ込んで捨ててしまったかもしれないと思い、ゴミ箱を探したが何も出てこない。どう考えても音がしないのが不思議で、全くの手掛かりがなかった。スマホと言っても、今の社会では実は最重要な道具なのだ。財布を落としても、現金だけならばなんとかなる。カードが入ってると厄介だが、スマホはもっと大変になる。いろいろ探したが、我が家には無いと結論せざるを得ず、近所のコンビニで買い物してスマホで決済したから、多分コンビニではないかと思ったが、夜も更けていれば仕方がない、明日の早朝に行ってみようと思ってベッドに横たわった。しかしいろいろ気になった。明日の朝コンビニに行ったとして、もし見つからなければ、とりあえず警察に届け、諸々の支払いはほとんどがスマホ決済なので、そのパスワードの変更などをどうしようか考えてみると、簡単ではない。古いスマホから新しいスマホへの切り替えならば、データはそのまま移行できるが、紛失したとすれば、一からやり直さなければならない。それでも昨日の疲れがあって、いつの間にかぐっすりと眠った。無意識的に気になっていたのか、早朝午前2時半ぐらいに目が覚めた。その時ふと書斎の机の下に落ちているのではないかと思った。何も脈絡はないが、これを天啓というならばそうかもしれない、書斎に行って机の下を見たが何もなかった。やっぱりそうかと思って、ふと机の左に積んでいる紙の資料を一枚とりあげたら、紛れもなくスマホがそこにあった。すぐに音の設定を見たら、なぜか通知の音だけミュートになっていたのだ。理由は全くわからないが、これでは探せないはずだと納得して、寝室に戻ってきた。スマホは無くなれば一大事となり、あれば何も気に留めない、そういうことなのだ。健康と同じで、病気になれば健康のありがたさが身にしみる。こんなことは生活する上で、誰も経験しているだろう。考えてみれば誰もが一本の狭い危ない橋を渡っているようなもので、一歩間違えれば橋から川に落ちるかもしれず、そうならばまた橋まで苦労しながら登って来るのだろう。思えば長く生きているということは、そのような繰り返しなのかもしれない。文脈は離れるが新聞に、苦も楽もないよりあった方がいい十年日記は空白ばかり(加藤健司)の句があった。そうなのかやはりそうであろう、苦も楽もあるから人は生きていけるのだ。
