うまくいかない時

今日は火曜日の夕方、ブログを書く時間であるが、少しいつもとは様子が違う。大したことではないが、今日は一日中都内で会議があって、先ほど帰宅したばかりだ。午前に都内の事務所で来客と打ち合わせをし、その後事務局会議があって、午後に他県に出かけて運営委員会なるものに参加して、先ほど戻ってきた。ただなぜか今日は一言で言うと、タイミングが悪いというか、調子が悪いというか、思うようにならないような一日だった。誰でもそんなことはあるだろうとは思うのだが、小さなことでも少し憂鬱になる。ブログを書かなければならないから、なるべく早く帰ろうと思うのだが、電車の待ち合わせで数秒で乗り遅れたとか、運営委員会の会議はつまらなくて会議中スマホでメールを見たり、まるで成績の良くない中学生のような態度だった。期待していることもあったが、それが期待はずれであった。プライベートなことなので何も書かないが、心中では気にしていた。天気予報では一日曇り空だと報道していたので、折りたたみ傘しか持っていかなかったが、都内も所沢に戻っても、かなりの雨が降っていた。天気予報が当たらないなと、大したことではなくても、それが不足になってくる。こんな時、人はどう対処するのだろうか、なぜ世の中には自分の思いどうりにならないことが起きるのだろうかと、絶対に答えられない問いを考えたりする。今、書斎の窓から外を見ると、雨はすっかり止んで曇り空になっている。世の中はこのようなものなのだ。多分この世の中で起きることは、確率なのだと思う。天気予報で曇り空といっても雨になるのは確率予報だからだろう。電車に数秒で乗り遅れたといっても、数秒ぐらいの差は多分確率的に起きるからだ。会議がつまらないと思うのは、自分の専門でないことは興味がないからだ、しかしそれでもたまにはおやと思う内容もあるから、それも確率である。大切なことはどう対処するかだろう。どう気持ちを切り替えるかである。起きた事実は消すことはできず、そんなことを思っても時間の無駄である。雨が降れば農家は喜ぶ。電車に乗り遅れてもブログを書く時間には間に合った。会議で面白くなくても、それは自分の知識の無さのせいだと思えば納得がいく。期待はずれであったとしても、それが本当に良いことなのか悪いことなのかは、時間が経ってみなければわからない。文脈は離れるが新聞に、撃たれても撃っても歓喜水鉄砲(相沢明子)の句があった。夏の真っ盛り暑い日差しを浴びて、水鉄砲で遊ぶ子供の光景が目に浮かぶ。太陽の日差しがあってこそ水鉄砲は楽しいのだ、それが雨降りだったらどうだろう。しかし本当に水鉄砲が好きな子供は、それでも水鉄砲で遊ぶかもしれない。水浸しになりながらでも、遊ぶこと自体が楽しいからだ。そう思うと、子供は何と素晴らしい処世術を身に付けているのだろうか。大人は何かと理由をつけて、自分以外のせいで上手くいかないのだと言い訳をしているのではないだろうか。どこか気が楽になった。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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