今は土曜日の夕方、昼間は猛暑とも言って良いほどの暑さであったが、猛烈な雨が、雷と共に降ってきて、今は暑さがやわらいでほっとしている。と言っても、午前にオンラインの会議、午後は先ほどまでオンラインの研究会に参加して、一日が暮れようとしている。自分にとって嬉しいこともあれば駄目だなあと落胆することもあり、いつものことながら、この世のことは晴れたり曇ったり、快晴になったり大荒れの天気になったりと、揺れ動いている。今朝はずいぶん早朝に目が覚めて、なかなか寝付けれなかった。今日の午後のオンライン研究会に参加しなければならないから、寝不足では困ると思いつつベッドの上でゴロゴロしていた。これも歳なのかと思ったが、そうではなくて昨日はほとんど運動できなかった。運動不足ではぐっすりと寝られないという当たり前のことに気がついて、今朝久しぶりにジョギングをしようと思った。昼間に走れば正気ではなく、ほとんど熱中症になるだろう。朝ならなんとかなると思って、西方向の公園に行って戻ってきた。なんとなく気分が爽やかになった。このように数日を振りかえって、あれはプラスこれはマイナスなどと採点してみると、年とともにマイナスの回数が増えていくような気がする。それは仕方がないだろう、身体も脳も心も衰えていくのが自然だからだ。しかし今朝のジョギングのように、なんとか自然現象に逆らっていこうという気持ちがあるだけありがたいのだ。人が生活するとか仕事をするとか研究をするとか何か活動をするということは、自然に逆らうことだろう。逆らうにはエネルギーが必要で、その源は意欲だとすれば心である。極端に言えば、体が弱っても脳が働かなくなっても、心さえ前向きであればなんとかなるのだ。今朝ジョギングしたので明日もやろうと、また一つ意欲の階段を昇る気持ちになった。今朝のオンラインの会議でまたひとつ仕事が増えた。だからもう一つ上の階段を上る気持ちになった。しかし先ほどのオンライン研究会では、自分はまだ修行が足りない勉強不足だと思って、階段を一つ降りた。新聞に、もの忘れするたびに老い薄暑かな(相原清雄)の句があった。その気持ちはよく分かる。あれを忘れたこれも忘れたと回数が増えるたびに、自分の老いを自覚するのだ。意欲の階段を降りるごとに、自然に逆らうことを諦めるのかもしれない。まして酷暑の続く異常気象のこの頃は、テレビでも外出を控えるようにと警告をしている。しかし早朝など涼しい時間なら、運動するほうが健康的だ。しかし世の中全体は、どうも自然に逆らうことは推奨していない。安全な生活をするように指導しているが、それが人間にとって良いのかどうかは、わからない。外に出るなという警告はもちろんよくわかる。よくわかるが、どこかしっくりとしないのは、なぜだろうか。
