心豊かな生活

今は土曜日の夕方、と言ってもまるで白昼のような空の光景である。書斎は西向きなので西日が入り込んでくるから、薄い白いカーテンにグレーの厚手のカーテンを重ねて、さえぎっている。いつもの通りスポーツジムに行って、運動をして汗をかきプールで泳いで汗を流し、ミストサウナに入って体内の老廃物を外に出しシャワーを浴びてさっぱりして帰宅した。冷水で喉を潤し、我が家の庭で採れたグレープフルーツを食べた。いつもの献立で、酸っぱいビタミンCが無性においしいのは、体が要求しているからだ。梅雨に入ったとは言え、異常気象なので暑い日が続いている。今週もいろいろなイベントがあったり会議があったり同窓会があったり、様々な出来事が過ぎていく。そんな活動があるたびに、緊張したり不安になったり、ほっと胸を撫で下ろしたり喜んだり、人間はなんと忙しく感情の浮き沈みがある生き方をしているのだろうか。今日午前中は、ここ1週間ほどずっと取り組んでいる仕事をして、ふと道筋が見えてきた。あっそうかと独り言を言ったが、何か無性に嬉しくなった、といっても他人に話すほどの内容ではないが、自分にはそんな小さなことでも、子供のような喜びを感じる。なぜだろうか、年齢と共に若い頃のような大きな活動や心躍るような華やかさはないが、小さいけれども似たようなワクワク感を感じる時がある。今朝もメールを見たら、著名な海外のジャーナルに論文が採択されたという古い友人からの知らせがあった。文字が喜びで踊っている。生涯を賭けた論文なのかと、その文面から伝わってきた。そんな嬉しい知らせもあれば、別の友人は家族に不幸があり自分自身も大手術をして、今は元気で暮らしていると、何事もなさそうに同窓会で自分に語った。さぞかし大変だったろうに辛かっただろうにと思ったが、彼の表情を見て、人は何と強く生きられるのかとも思った。2週間ほど前の新聞に、かなしみも老ゆれば遠き花あやめ(田辺英男)の句があった。作者は悲しい出来事に出会ったのだろう、それでも目の前にある華麗な紫色をしたあやめを見ていると心が癒され、悲しい出来事も遠くに行ってしまう、今はただ美しい花を愛でることで、楽しい気持ちに浸ることができると語っている。そしてふと思う、年を取るごとに、悲しい出来事やつらい出来事は少しずつ遠くに去っていき、嬉しい出来事や楽しい出来事はそれが小さなことであっても、振幅の大きい喜びになるのではないだろうか。とすれば老いることは決してつまらぬことではない、むしろ心豊かな生活ができる老境に入ることなのだ、と言いたいが、世間では賛同する人は少ないかもしれない。しかし、そう信じている少数派として生きていたい。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

コメントを残す