今は火曜日の夕方、窓から見る外は初夏というより真夏のようで、ほとんど雲が見えない。今年も異常な天候のようで、今日もいろいろなことがあった、といってもブログに書くほどのことでもない。人が生活するということは、とりたてて他人に語って聞かせるほどの出来事はないのが普通で、何かあるとすれば多分あまり良い話題ではないだろう。だから平凡に暮らせれば、それはそれで有難いと思うしかないだろう。しかしふと思う、それで楽しいのだろうか。毎日の生活は、楽しいというより時間が過ぎていくという方が普通だろう。つまり楽しいとは感情であり、時間が過ぎていくとは物理的な描写である、つまり心が動かされていない状況である。何かあれば、心がワクワクしたり緊張したり不安になったり後悔したりなどの感情が伴うのが自然だと思っていたが、どうも最近そうでもないかもしれないと思うことがある。日常的で平凡なことは、感情は素通りして、出来事だけつまり時間だけ過ぎていくのだ。プラスの感情が起きるなら歓迎だが、マイナスなら逃げたいと思うのが人情だろう。だから取り立てて何の感情も揺り動かされないとすれば、物理的な事実だけが過ぎ去っていく。うーんそのような状態は良くないだろう、人が毎日出来事に出会って、喜んだり悲しんだりする方が、どこか人間らしい気がする。平凡だが、生きることが実感できるからだ。自分を振り返ってみると、少し感情の起伏が小さくなったような気がする。ただし、面白いと感じるのは、新しいものにチャレンジしている時、チャレンジというより作り出している時である。どんな小さなことでもそれは楽しい。小さな旅行だがその計画を立てている時、自動車ナビで新しいやり方を見つけた時、学校の授業参観で授業を見ながら、こういうことかと気づいた時、歯間ブラシで歯をきれいにする新しい方法を見つけた時、パソコンで新しい設定の仕方を見つけた時、などこまごました小さなことだが、それでも楽しい。そんな時は、なぜかタイミングが合って、ラッキーと言いたくなるような瞬間がある。これに対して、平凡に何事もなく進んでいる時には、そのような出会いがほとんどない。平凡であるということは有難いのだが、何も面白くはない。新聞に、古希になり大きく見えるお月さま欲やしがらみちょっと吹っ切れ(小森きよし)の句があった。本当なのか、そうだとすると誠に羨ましい。自分などは未だ煩悩があって、なかなか吹っ切れない。ただ欲やしがらみがあるから、感情が揺れ動くのかもしれないとすれば、どちらが幸せかわからない。平穏な毎日を送るのか、多少の感情の起伏を経験しながら、苦しんだり喜んだりして時を過ごす、どちらが良いのかわからない。できれば嬉しい感情だけが起きるような出来事に、毎日遭遇して生きていたいと思う。まだまだ悟り切れていないようだ。
