春の風

今は火曜日の昼間、空は青く白い雲が浮かんで、五月らしい気持ちの良い天気である。夕方でなく昼間にブログを書いているのは、夕刻がオンラインで塞がってるからなのだが、天気が良いことは、気分を爽やかにしてくれる。なんとなく心が弾んでいるというと、少しオーバーだが、先週の土曜日に海外にいる知り合いとオンラインで仕事の打ち合わせをし、それがうまくいったので、まだその余韻が残っていて、まるで子供のように、思い出しては頬が緩んでいるのだ。そんな嬉しいことなのかと言われそうだが、前回のブログでも書いたように、まるで小さな小さなことなのである。この仕事は、自分だけでなく何人かの同僚を巻き込んでいて、その責任が自分にあると思っているので、それでほっとしたのである。責任の思い込みが強くて、どこかプレッシャーになっていたのだろう。明日もいくつかの仕事があって、自分ではむしろ楽しみな仕事なのだが、それでも緊張するので、できれば逃げたいと思うのは、毎回なのだ。もう何10回も何100回も経験して、一度の失敗もなく満足して終わるのだが、明日のことなのに、今でも少し緊張している。これは性格だから仕方がないのだが、こんなふうに毎日小さなことで心配したり喜んだり不安になったり多少の自信を持ったり、人間とは、小舟に乗って、帆を張って風や波を避けながらそして利用しながら進んでいくような気がする。天は、人は健気にもなんとか頑張っているのかと、眺めているのかもしれない。緊張がなければ、終わった喜びもなく、不安がなければ、順調に進んだ嬉しさもないだろう。束の間でもいいから嬉しい知らせがあれば、その余韻に浸るのもよかろう。昨日は都内に会議があって出かけたが、帰りの電車で土砂降りのような大雨に遭遇して、少し到着が遅れた。今朝は快晴の天気で、思わず庭に出て雨に濡れた芝の上に立って背伸びをした。何かいいことがあるかもしれないなどと思ったのは、昨日の大雨のせいだろう。面白いことも面白くないことも、嬉しい事も苦しいことも、心が弾むことも不安になることも、相対的なものであり、ありふれたものなのだろう。しかし楽しい時には子供のように素直に喜べばよいのだ、土曜日の朗報は、まだ同僚には連絡していないが、そろそろ喜びを分かち合おう。新聞に、春の風遠くの君へ届く頃(関根ともみ)の句があった。俳句の選者は、この句は抒情豊かな青春の句で、遠くの君とは思い人だと評していたが、老人であっても、青春時代でなくてもこの気持ちはいつでも起きる。同僚と喜びを分かち合う時、人は青春に戻り、その抒情に浸るのかもしれない。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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