日々の出来事

今日は土曜の夕方、といっても南側の窓から見る景色は、真夏の太陽のように家々の屋根やマンションを照り付けて、まだ暑そうである。薄青色の空をバックに白い雲がぽっかりと浮かんで、平穏に今日も日が暮れていくのだろう。いつもの土日と同じように、先ほどスポーツジムから帰ってきたばかりである。体を動かすと全身に血液の循環がよくなるようで、気持ちがリフレッシュされる。午前中はオンラインの打ち合わせがあって、自分にとって、それは朗報であった。人は、仕事でも健康でも家庭のことでも、多少の心配事や不安や揉め事などがあるだろう。他人から見ればなんでもない小さなことでも、本人とすれば、喉に魚の小骨が引っかかったようで、痒いところに手が届かないようで、いつまでたっても小さな咳が出るようで、気にかかるのである。ほんの小さなことだと、たぶん人は言うだろうと思うが、今朝のオンラインの打ち合わせで、それが杞憂だったことがわかってほっとした。あまりにもこまごました仕事のことなのでブログには書かないが、本当に些細なことなのである。今は、喉の小骨が取れたようなスッキリとした気持ちである。ただ自分の性格だと思うが、そんな小さな出来事でも、なんと自分は愚かなのだろうか、なんと心配性なのだろうか、なんと取り越し苦労なのだろうか、など自己効力感が低下していく。人は見た目と内面は違う。自分の所属する団体のスタッフからみると、そんなことは大したことないよとか、大丈夫だとか、自分が口癖のように言うので、自分をそのような人物だと思っているふしがあるが、本当はそうではない。自分は小心者なのである。話をする時でも、ビクビクすることもあるし、緊張することもある。ただ今日ふと思った、だから良いのかもしれない。なんと自分は鳥越苦労をするんだろうか、心配性なのだろうか、と思うので、次回はそう思わないようにしようと、自分にいい聞かせている。それはたぶん生きて行く上での知恵なのだろう。その知恵は経験に基づく気づき、つまり本当にそうしようと、自分の信念に響くような強い教訓である。そのような知恵を毎日少しずつ重ねていくのだろう。新聞に、トーストがポンと上がってありふれたかけがえのない今日が始まる(鈴木まり子)の句があった。この短歌の作者は、毎日新しい出来事に出会い、その度に知恵を積み重ねるとすれば、かけがいのない毎日だと詠んだとすれば、自分と同じ思いである。毎日毎日出来事に関わって、自己効力感のプラスとマイナスの波が動いていき、その出来事の度に小さな知恵を積み重ねている。それがその人の人格を作り上げていくのかもしれない。性格や人格は生まれついたものがほとんどかもしれないが、それでも残りの部分は日常生活における経験から得た知恵によるものではないか。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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