今は月曜日の夕方、外は曇り空で昨日までの空の景色とかなり違っていて、どうも台風1号の影響らしい。今日は都内で会議や役員会やら用事が山積して、朝から出かけた。今週は都内や他県に出かける用事も多く、ほとんど外出する予定になっている。この時間にブログを書いているのは、当然ながら明日は都内の会議やら懇親会やらがあって、夕方には机に向うことができないからである。電車に乗る時は、自分は何かの本を読んでいるのだが、それは紙の図書でないと困る。パソコンは持たずスマホで文献や書類を見ることはできないので、何かの書籍を持っていく。その書籍が小説だと周囲の目が気になるというか、何かサボっているような気がして、仕事に関係する専門書のような雑誌や本を持っていく。図書は意外と書斎では読めないもので、電車の中が最も適しているような気がする。できれば座席に座って、まとまった時間があればなおよい。しっかりした本を読むと、何か得した気がするからである。とは言っても、自分はそんなに論文を読んだり専門書を読んだりすることが好きだとは言えないだろう。本当の学者は、多分書斎だろうと居間だろうと電車の中だろうと、読みふけっているに違いない。自分はそれには程遠い。だから自分に言い聞かせているのかもしれない。長い間の習慣で、毎日少しでもいいから研究か仕事に関連したことをしてないと、背中を何かでつつかれているような気がする。もう現役でもないのにといつも苦笑する、多分習慣なのだろう。いや自分の価値観か学校文化か大学の研究文化が身についてしまって、ほどこうにもほどけにくいからだと思う。学校では頑張れ頑張れと言い、研究では寝ても覚めても考えよと、学生に言ってきた。それが良かったのか悪かったのか、この年になるとわからない。自分はまだその呪縛から逃れていないからだ。多分1年間毎日ずっと、この習慣から離れた記憶はない。昭和の人間はそうやって頑張ってきたかもしれず、理系の大学ではそれが当たり前であった。しかし今思えばそれは間違っていたのかもしれない。新聞に、職安の帰りの道は夕焼けて「ファイト!」の声の響く校庭(松本尚樹)の句があった。昭和でなくても今であっても、スポーツの世界は同じらしい。この作者は職を探していたのか、夕焼けの道を帰りながら、自分が学生だった頃を思い出し、未来に向かって頑張っている若者が眩しかったのかも知れない。ただもう年齢が来れば頑張らなくてもよいのだ、静かに生きて行くことも大切なのだと、自分の生き方と矛盾するのだが、この頃そう思うこともある。どちらが良いのか自分にはわからない。
