今は土曜日の夕方、ほっと一息ついて一週間を振り返る時である。大型連休が終わって、郵便箱に速達便や小包がどさっと届いたかのように、いろいろなイベントや用事が入ってきて、あっという間に週末になった。その出来事をこのブログで書くと長くなるので止めておき、今日のことだけを書くと、午前中は審査系の仕事があって、とりあえず片付いた。そんな仕事が楽しいかといえば、楽しいとも言えるしそうでないとも言える。その世界に入ると、応募した人の考えや心情を汲み取ることができる。この人は多分助成金が欲しいだけか、この人はものすごく真面目な人で几帳面なんだなとか、この人はあまり推敲しないで計画書を書いたので誤字もあるなとか、この人はすごいアイディアでどうしてもやり遂げたいのか、など研究する人たちが広場に集まったようなもので、それはそれなりの楽しさがある。しかし自分は主役ではなく、その広場の周囲から眺めているだけなので当然ながら脇役なのである。だから眺める楽しさはあるが、自分が中心になって何かを成し遂げるような喜びではない。研究するとはその人が中心で、舞台で言えば主役なのである。審査員は舞台の袖から見て、批評するようなあまり喜ばれるような役ではない。どんな小さな劇であっても、主役は最も楽しい役であり最も厳しく批評される存在である。そんな経験を積み重ねてきて審査員の側になるのだが、それは花盛りを過ぎた役者のようなもので、プレイヤーではなくマネージャーであろう。今日の午後は、スポーツジムに出かけた。体を動かすとそれなりに活力が出てくるのは脳内物質のせいかもしれないが、誰でもプレイヤーになるのである。どんなに年老いてもどんな役職の人であっても地位や年齢に関係なく、一プレイヤーとして体を動かすのである。スポーツジムに行けば、すべて平等の世界に入ることになる。ある部屋では、インストラクターの体の動きに合わせて、老若男女がまるで子どものように激しく体を動かせ、多分体中が汗いっぱいになっているだろう。自分はそのような教室には入っておらず、一人で黙々と体を動かしたりプールに入ったりして一時を過ごしている。スポーツジムでも激しく運動する若い人もいれば、自分のような我が道を行く人もいる。新聞に、咲き休み散り休みつつ花は葉に(竹田元子)の句があった。春爛漫とはこのことかと思うぐらいの桜の花が満開の季節には、誰でも心を浮かせ、いつの間にか桜の花が散って道端にも小川にも花びらでいっぱいになり、やがて濃い緑の葉だけになり新緑の季節を迎え、しっとりとした落ち着きのある風情に多少の春愁を感じながら過ごしている。自然の季節には花盛りもあれば散っていく時もあり、人の生き方にも主役になってスポットライトを浴びる時もあれば舞台の袖でそれを見守る時もある、激しいスポーツをする年代もあれば自分に合った運動をする年代もある、それでよいのだ、それが自然の成り行きなのだ。そんな物思いにふけりながら、このブログを書いた。
