土曜の夕方

今は土曜日の夕方、連休の初日であるが、今の自分にはそのような感覚はあまりない。サンデー毎日という言葉があるが、自分にはあまり当てはまらず、手帳を見るとそれなりに毎日が埋まっている。3月の終わり頃は、4月の手帳がこんなに真っ白だとどうなるのだろうと不安に思ったが、世の中は動いていて、時が来ればそれなりの用事が出てくるようだ。今の自分の身はフリーランスだから、オファーが来れば仕事をし、そうでなければ自分で計画した、いわば好き勝手な仕事をしている。それはまあ趣味のようなものだから仕事と言っていいのかどうか分からないが、現実はそのバランスが大切だと思う。外からのリクエストに応じて仕事をする、例えば今日も、どさっと分厚い書類が届いた。それは審査系の仕事で、締切日が決められている。これに対して、興味があって対話論の文献を読んでいたが、それは自分の資料作りに必要だからである。人は趣味だけでは生きていけないし、生きがいのような仕事がなければ、これもまた虚しくなる。人間とは、誠に贅沢な生き物である。世の中の人は、誰でもそんなふうに感じているのではないだろうか。今日は連休の初日で土曜日なので、スポーツジムに行く予定だったが、外からの仕事で時間が取れず、その代わりジョギングをして、先ほど帰宅したところだ。気温はそれなりに高いが、日差しがなくゆっくり走るにはちょうどよい天気だった。仕事が一段落ついたところで、西の公園の方向にジョギングをしていたら、親子連れも幼子も子供たちも、キャッチボールやサッカーなどに興じて楽しそうだった。自分も歩幅を小さくし時間をかけてゆったりとその光景を見ながら、走った。確かに今日は大型連休の初日だ、子供も大人も年寄りも皆この日を楽しんでいるのか、子供は勉強や宿題のことを忘れ、大人は仕事の憂さを忘れ、ただ春の夕方に身を任せて漂っているようだ。大渋滞する高速道路に車を走らせるよりも、こんなゆったりとした時間の過ごし方の方が、心は穏やかになるだろう。自分も、なんとなく春の一時をゆったりとした気持ちで走ってるような散歩してるような、そしてどことなく物憂さを覚えながらジョギングをしていた。新聞に、自転車を押して帰るや春夕焼(はるゆやけ)(山本亨)の句があった。作者は自転車に乗って用事を済ませ帰宅途中だろうが、あまりにも美しい夕焼けを見てゆっくりと眺めたいと思い、自転車から降りて押しているのだろうが、その気持ちはよく分かる。今日は夕焼けではなかったが、風情はどことなく似ている。日本全国の大人も子供も、たまにはこんなゆったりとした時間を過ごすのも良い。生きていれば、良いことも悪いことも嬉しいことも悲しいことも起きるだろうが、時間がくればお風呂に入り、その後少しの時間だけ好きな小説を読み、一杯飲みながらテレビでニュースを見て、気に入った番組があれば視聴し、そして少しの酒で酔っ払い、時間がくればベッドに入り、やがて明日を迎えるのだ。何事もない土曜日の夕方は、ぼっとしていても誰も文句を言わない、そんな自分が許される平穏な時である。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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