今は土曜日の夕方、晴れてはいるがどこか灰色っぽい青空で、どことなく蒸し暑い春と初夏の間のような気候で、けだるさが襲ってくる。先ほどスポーツジムから帰ってきて、書斎に上がって週2回のブログを書こうとしている。今日は何を書こうかなどあまり悩むことはないのだが、それでもネタがないと文章が出てこない。たまには何もないことがいいことなのかもしれない。そういえば黄砂がやってきたようで、車が汚れているから洗車した方がいいよと、家内に言われたけれども、なかなか腰が上がらない。気にはなっているのだが、ふと思った。紙に書いてみよう、今日の仕事として、加湿器の掃除と洗車をすることブログを書くこと三冊の雑誌の文献をチェックすることと書いた。不思議なことに、その今日の仕事の紙を見ただけで、何かやる気が出てきた。自分の体が先に動いて、加湿器の蓋を取って歯ブラシで綺麗にして電源を抜いておいた。そうすると体がリズムに乗ったようで、風呂場の蛇口にホースをつないでお湯で車を洗った。黄砂で汚れているのかどうか自分にはわからないが、洗車しているとなんとなく生き返ったようで、ホンダの青色の車体がみずみずしく若返ったような気がした。ついでに掃除機で運転席のゴミを取った。するともっと何かやらなければならないような気がして、庭に出て雑草を取った。取りながら思ったのだが、これは来週の仕事にしよう、そうでないと文献が読めないと思って、書斎に上がった。お昼を済ませてスポーツジムに行き先ほど帰宅したのだが、平凡な一日なのである。しかし土曜日という気楽さが手伝って、たまには書斎でぼーっと外を見ていたいと思った。そしてなぜ紙に書いたら自分は急にやる気が出たのだろうかと考えた。しかし考えたところで哲学的な深い意味があるわけでもなく、紙に書けばなんとなくやらなければならないと思ったのかもしれない。自分は手帳を愛用しているが、手帳があるから仕事をするのかもしれない、学校は時間割があるからきちんと授業ができるのかもしれない、そう思えばタイムマネージメントは心の中で思っただけではダメで、可視化しなければできないのだろう。文脈は離れるが、新聞に、あてどとは流れゆく先春の雲(久野茂樹)の句があった。あてどとは当所と書いて行く先のことだが、風の向くまま気の向くまま、あてどない旅をするフーテンの寅さんのような生き方をしてみたいと思う人も多いだろう。ただどうだろうか、行く先がないのは気楽のようで寂しいのではないか、土曜日曜のような休日はたまにあるから楽しいが、それでも自分が紙に今日のすべき仕事を書いて、それを見て体が動く方がむしろ楽な生き方なのではないだろうか。そんなたわいもないことを、このブログに書いてしまった。
