今は火曜日の夕方、ぽっかりと浮かんだ白い雲を従えて青空が広がっているのを見ると、今日も良い天気だったなぁと思う。仕事以外の用事もいくつかあって市内をあちこちと動き回った。雑用的な仕事はこのブログでは書かないが、学校訪問だけは少し触れておきたい。所沢市の教育委員会や教育センターに協力して学校訪問をしている。訪問と言ってもボランティアの授業参観である。本年度最初の授業参観を、センターの先生と一緒に出かけた。いつも思うのだが、出かける前はどこか不安だったり、どう表現していいかわからないのだが、学芸会で舞台の袖で待っているような気分なのである。自分の立場は気楽で、別に授業中に何かするわけでもないのだが、それでも緊張したり不安になるのはなぜだろう。しかし終わった後は満足感はある。自分は帰宅したらすぐに授業のコメントを書いて学校にメールの添付ファイルとして送っている。もう数年も続けているので、それが自分の仕事の一部となっている。本年度最初だからなのではなく、毎回そんな不安や緊張感に襲われる。それはどこか授業、特に小中学校の授業については自分は素人だからという気持ちが潜在的にあって、どこかしどろもどろするような自分がいるかもしれない。今朝、校長先生に挨拶をしたら、先生のその別の角度からのコメントが先生方に人気なので是非今年もよろしくと言われた。褒めているのか逆なのかわからないが、学校関係者の授業のコメントとは全く違って、先生方とは別の考え方なのでハッとするのだと言われた。自分は小中学校の経験がないので素人だと思っているが、別の見方からすれば新鮮なのかもしれない。主に研究の側面から光を当ててコメントしているのだが、というよりそれしか自分には能がないのだ。相手と同じ世界から眺める方が良いのか、別の世界からの方が良いのか、本当は分からない。自分の学校訪問は、多分学校の先生方にとっては異文化のような感じがするのではないか。文脈は離れるが新聞に、短命と告げられし娘と半世紀共に歩みて我は傘寿(さんじゅ)に(村上八重子)の句があった。医者は多分科学的な見地から短命だと告げたのであろうが、実際はそうではなかった。母親は苦労しながらも、子供を育てることに懸命だったのだろう。それは科学の世界とは別の子育ての世界での生きる力なのではないか。現実の諸相は複雑で科学だけからは割り切れない、また子育ての経験則だけでも予測できない。自分が学校訪問をしている本当の理由は、その現実の世界の持っているダイナミックな力を知りたいからと言ってもよい。多分科学の力と現実の力が相互作用しながら、諸相は生まれ流れていくのであろう。
