今は土曜日の夕方、今日は朝からまるで初夏のような天気で、書斎から見る南向きの空は白い雲が混じった青空が、言葉はふさわしくないが青春を謳歌しているような感じがする。今日は自分も短いシャツに着替え、今は浴衣を着てこのブログを書いている。今日のブログは何を書こうかと、実は迷っている。それはなんとなく自分の恥のような内容なのだが、仕方がない他にネタもないので書こう。家内に言われて左頬に小さなイボのようなものができているから皮膚科に行って治療してもらうと良いという、ありがたいようなありがたくないような助言に従って、昨日その手術をしてもらったのである。びっくりした。もちろん事前に色々な説明は受けていたのだが、まさか左頬全体に絆創膏のようなものが貼り付けられようとは思ってもみなかったのだ、鏡を見るとみっともない。看護婦さんは10日間の辛抱ですよとは言うけれども、自分は来週から人に会わなければならず、人前で話もしなければならず、また学校にも行かなければならない。こんな姿でどうしようかと思ったのだが、後の祭りである。家内に愚痴を言ったら、少しの辛抱だから気にするなと、まるで冷酷な裁判官のような言葉を告げたのだが、諦めるしか仕方がない。しかし人は窮地に陥ると、どこか救いの手が差し伸べられる。マスクをすればいいじゃないの、と家内が言った。なるほどその通りだ、学校訪問をしなければならないのだが、子供たちに冷やかされないようにマスクをしていくかと思って、気が和らいだ。しかし考えてみると、年を取れば顔にイボやシミなどができるのは当たり前であり、それが自然なのである。自分は自然に逆らいたくないと思っているが、医学とはその逆を行く学問である。自然に抵抗しながら進化することが原理である。考えてみれば教育も同じかもしれない。自然のままに子供を野放しにしておけば楽かもしれないが、世の中を渡っていくには落ちこぼれになってしまう。自然ではなく自然に逆らって勉強して、頭や体や心を鍛えていくのだろう。そしてふと思う、絆創膏ぐらい大したことではなく何でもないことなのだ、気持ち一つで人はどうにでもなる、小さなことだが、そんなことを経験しながら、人は少しずつ生きる知恵を身に着けていくのか。新聞に、一歳で歩き覚えしわれなるに「歩き教室」に妻と通へり(大健雄志郎)の句があった。確かにその通りだ、歳をとると歩くこともままならず、教室に通って歩く練習をするのかと思うと、学習とは自然に逆らうことなのだろう。歩き教室まで世の中にあるとは知らなかったが、歩けない人が歩けるようになれば、幸せである。とすれば自然に逆らうことで、人は幸せを掴もうとしているのか。ただ世の中の人は、自然に逆らう人と添っていく人に別れるような気がする。どちらが正しいのか、自分は分からない。
