新年度

今は土曜日の夕方、スマホでは小雨の天気予報もあったが、白い雲が空一面に敷き詰められてはいるが、小雨も降らず良い天気である。コロナが明けた今年は、市内の公園で花見をするのも悪くないなとは思いながらも、午前中はどんよりとした天気だったので仕事をした。それもほとんどがメールの処理に追われた。それには理由がある。一昨日と昨日は兄弟会があって、大阪と和歌山に旅行に行っていたからである。そのためにメールは読めても関連する資料の整理などはできず、その処理にほぼ午前中かかってしまった。兄弟会と書いたが、正確には自分を除けば姉妹会である。話をしながらふと思った。それぞれが、身内なら話せる物語を持っていて、楽しかったことや辛かったことなどを話していると、そうだなとか、その通りだとか、納得することばかりであった。あの時こうすれば良かったとか後悔することもあるが、愚痴を言っても仕方がない、自分を責めても仕方がない、現在を生きていくしかないなら、楽しく元気で毎日を過ごすという平凡な結論に終わった。しかし世間から見れば、3人がそれぞれ幸せな生活をしていると言ってもいいだろう。幸せとは主観的な概念なので、そのように自分に言い聞かせているのかもしれない。面と向かって対話することはオーセンティックな世界なので、ほとんどの出来事は小さなことで何でもないということが、本心から納得できるような気がした。今日のお昼は良い天気だったので、公園に行けない代わりに、近所の桜を散歩がてら見に行ったら、満開に咲き誇っていて、道行く人の誰もがスマホで写真を撮っていた。つまらぬことを考えず、美しいものを見れば美しいものをそのまま味わえば良いのだ。新聞に、九十九の母も雛(ひな)の日ちらし寿司(久田雅子)の句があった。いくつになっても桃の節句を祝って、楽しい食事をするのは素晴らしいことなのだ。腰が痛いことも肩が張ることも病気であることも全て忘れて、雛の日を楽しんでいる姿はどこか尊い。美しい桜、楽しい音楽、感動するドラマ、心にしみるような身内との対話など、細胞レベルで見れば全ての情報や物質が五感を通して、皮膚を通して体内に入ってくるので、動的平衡論で言えば新しい細胞に生まれ変わっているはずである。そうすると人の思考は前向きになる。桜の写真を撮りながら、ふと思った。来週の4月8日から、こんな計画でやってみようと、新しいアイディアが湧いてきた。多くの学校が来週から始まる。自分も子供達と同じように新年度が始まる。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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