今日は日曜日の午前中、この時間にブログを書くのは全くの異例だが、前のブログでも書いたように、明日の月曜日から全く時間が取れないからである。考えてみればありがたい。昨日は大学入試問題模擬試験の内容をチェックしていた。別に趣味でなく仕事なのだが。いろいろなことを思った。人は意外に思考力は衰退していないようだ、人の名前とか固有名詞は驚くほど出てこないが、思考力、特に論理的な思考、多面的な見方、判断力や表現力などは、若い頃に比べてもそれほど衰えていない。判断力などは、経験の積み重ねによって、むしろ多様な視点から捉えることができるので、より深くなる。というか、いぶし銀のような、派手ではないが、味が出てくるような気がする。直線的でなく、扇のように広がっていくと言ってもよいだろう。学習指導要領でも、知識よりも思考力を育てる方向に向かっているが、その通りだとも言えるし、そうでもないとも言える。このような見方が、広がりと言ってもよい。というのは、知識の積み重ねが、判断力や思考力や表現力などを生み出すことも多いからだ。物事を直線的に一面的にとらえることは、すこし危険なところがある。あるテーマを元にした学生の議論の分析を研究をしているが、知識を持たない学生は発言できない、見通しができない、予測がでたらめになる。オンラインであるがアメリカの学会でも、同じような結果を発表していたが、考えてみれば当然のことかもしれない。そんなことは誰でも知っているのだが、その知り方は経験則なので証明されていない、だから研究する意義は存在している。ただ研究の場合は仮説を立てるので、見方が直線的になる。それ以外の可能性を捨てることになり、ある面で研究者は専門だけはよく知っているが、それ以外は全くの素人になる。それを日常生活に適用すると、少し厄介なことも生じる。文脈は離れるが新聞に、吐き捨てし言葉は悲し枯茨(飛田多恵子)の句があった。枯茨(かれいばら)とは、冬の季語で葉っぱがすべて散ってしまった棘だけの茨を示すとネットに書いてあったが、確かにその通りである。怒りに任せて捨て台詞を言った後味の悪さは、誰でも経験しているが、感情とは直線的であり、広がりのある思考からは生み出されない。別に口論したわけでもないが、新聞を読んでふと思った。今日日曜日は、午後スポーツジムに行く、それだけで楽しくなる。楽しいことは体の全てが、やさしさで満たされるのだ。広がりのある楽しい人生でありたい。
