梅の花

今は木曜日の昼間、ブログを書くには変則的な時間だが、仕方がない。来週のスケジュールが極めて厳しく、ほとんど都内や地方に出かけっぱなしで、土曜日になってようやくブログを書く時間がとれる。だから週の初めのブログは来週には書けないので、苦肉の策で今週の日曜日に来週の分を書くことにした。すると今週は3回書かなければならないことから、バランスを考えると、月木日の3日間が適切なのだ。まあこんなたわいのない計算は意味がないので、自分の日々の生活のことを書こう。といってもそんなに他人に語って聞かせるほどの物語はないが、最近感じたことを、それも小さなことなのだが、そっと書いてみる。テレビ番組が面白くないので、録画して見ることが多い。最近では、ベストセラーになった白い巨塔の連続テレビ番組で、さすがに大評判になっただけあって、見る人の気持ちをしっかり掴んで、視聴者を番組の世界に入り込ませる。一昨日見た内容は、主人公の財前教授は、海外で基調講演を行い、得意絶頂の時期であったが、彼が手術をした患者が亡くなってしまう場面であった。里見助教授は、財前教授の手術に疑問を抱き、何かと患者のためを思い、さまざまな提言をするも、大学の制度の中で、それは生かされなかった。この患者は八百屋の主人であり、癌の疑いがあると里見助教授に言われて、本音では入院も手術もしたくなかったが、いろいろな悪条件が重なって最後は病院で亡くなってしまう。この番組を見てふと思う。医者とすれば癌の手術をして生きるほうが幸せだという信念なのだが、この患者はもっと八百屋の仕事を続けたかったのではないか、例え、癌で亡くなったとしても、その方が本望だったのではないかと思った。悪いところがあるから取り除く、それは誰も反対はできないが、それは本当に幸せなのだろうか、わからない。人にはそれぞれの立場があって、その中に入り込んで、善意を振り回すのはいかがなものかと思ったのだ。教師も医師も同じような信念を持って仕事をするのだろうが、それは正しいことなのかどうか、本当は分からない。新聞に、立ち位置を心得てをり梅の花(嶋田武夫)の句があった。淡い色をした小さな梅の花は、自分の立場をよく知っていて、桜のような晴れやかさではなく、そっと咲いて、人々がふと振り返って愛でる役なのだ、そんな風情がよく似合う花なのだ。人間にも同じような立場があるのではないか、自分のように歳をとってくると、自分の立場が見えてきて、スポットライトを浴びて劇場の中央に立つのではなく、脇役でよい、端のほうでそっと立っていたい。今の自分は、決して桜ではなく梅の立場である。桜の季節は過ぎたのだ。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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