とりあえず

今は土曜日の夕方、窓から見る空は白みがかった青空で、久しぶりの快晴の1日だった。昨日と一昨日は1日中雨降りで、時にみぞれ混じりの寒い日中だったが、今日は打って変わった天気になった。天気のせいではないが、今日は、月に一度のお墓参りをしてお昼は外食にした。自分たちの生活のこと子供や孫たちの様子などを報告すると同時に、お願い事などをしている。お線香に火をつけて拝んでいると、周囲が木々と畑で囲まれているせいか、俗世間を離れた静かな気持ちになる。そして他家のお墓さんを回って小さなピクニックのような散歩をして、駐車場に行く。そのまま行きつけの中華料理店で昼食をとった。自分は塩味のスープが好きなので野菜たっぷりタンメンで、家内は豚骨ラーメンだったが、たわいもない食事である。その後自分はスポーツジムに行って汗をかき、例のごとくプールで汗を流して、先ほど帰宅した。何とも平凡な休日であるが、休みというだけでどこか嬉しい。午前中は3ヶ月に1度の眼科クリニックに行って目薬をもらってきた。自宅から歩いて1分という近さなので、気楽に行ける。年を取ってくると何でも気楽が一番で、スーパーマーケット、コンビニ、薬屋、クリニック、電車の駅、接骨院、蕎麦屋、スポーツジムに至るまで、近いところを愛用している。午前中は平日と変わらず書斎で仕事をしたが、今日は大学入試模擬試験に似た問題の妥当性やら適合性などの自分にとっては慣れない仕事で、しかも気を使う。締め切りがあって、近づいているわけではないが、年と共に余裕がないと不安になることが多いので、朝一番と眼科クリニックから帰ってきて取り掛かった。誰でもそうなのだが、不慣れな仕事は取り掛かるまでの壁が高いから、先に延ばそうかという心と、いや今やらないと後で気が重くなるからという葛藤があって、迷うのだ。だから、とりあえずできるところからやってみようという、平凡な戦略を用いた。1問を解き2問を解いていくうちに、何かリズムに乗ってきたようで、時間を忘れた。とりあえずとはそういうことなのか、自分が、問題の中に潜んでいる黒子がいて、その黒子とやり取りしているような気がする。これは別に比喩ではなく、学問的に認められている言説である。文脈は遠く離れるが、新聞に、まだ慣れてゐないだけだよ靴擦れに絆創膏を貼るやうに言ふ(小金森まき)の句が目を引いた。旧かなづかいで書いているから、短歌に慣れている作者であろうが、気持ちはよくわかる。仕事で慣れなかったり、不手際になったり、自分はどうしてこんなにうまくいかないのか、自分には才能がないのかなどと、自己肯定感が低くなったりする時に、いやいやそうではないんだ、慣れだよ、慣れてくれば靴擦れの靴が足に合ってきて、馴染んでいくから心配ないよと、誰かが慰めてくれたり、あるいは自分自身で元気を出そうとしている短歌なのかもしれない。と解釈したが、いやそうではない、この短歌の文章通りではないのかと、ふと思った。午前中の自分の慣れない仕事であっても、とりあえず1問2問とやっていくうちに、靴に足が馴染むように、足が靴に合わせるように、自分と問題の中にいる黒子が協力しあって、ゴールに向かっていくのではないだろうか。そうすると、そのきっかけは、とりあえずやってみることなのだろう。このとりあえずという言葉は、優れた処世術を含んでいるような気がする。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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