今は火曜日の夕方、南向きの窓から見える空の色は、青色に混じった灰色がほとんどを占め、所々に残照に照らされた白い雲が見える。とりあえず今日もつつがなく日が暮れようとしている。今日は暖かい気温で春か初夏のような天気だった。あまりの気持ちよさに昼間ジョギングをした。こんな小春日和のような天気の良い日には、小川のほとりの公園までジョギングすると、どんなに気持ちがいいだろうと思って、自宅を飛び出した。お昼のニュースを見ていたら、明日から急激に気温が下がり、冬が舞い戻ってくるという、温度差は10度以上もしくは15度ぐらいにもなるというから、このチャンスを逃してはいけないと、せかされるように下着1枚で西の方角に走っていった。その期待を裏切ることなく、頬を横切る風が心地よく、こんな生活もいいなと素直に思った。先週までの胃が痛むような綱渡りのようなハラハラドキドキするような仕事をした後は、誰でもリラックスしたくなる。ましてこんな暖かい日には、ウキウキして西の方角には何か良いことが待っているかのように、恵みの神が手を差し伸べているかのように感じて、約1時間ほどゆっくりではあるが走った。帰宅して、汗びっしょりになっているから下着も変え、家内が用意してくれたグレープフルーツを食べると、ジューシーな味と香りで口の中が満たされ、胃の中に入って行くと全身がリフレッシュされたような気持ちになる。こんなさっぱりした時間は久しぶり、とつぶやきながら振り返った。お昼までにどうしても原稿を完成して投稿しなければならない仕事があって、何とかやり終えてパソコンのリターンキーを押した時、これで少しは解放されると思い、じわっと小さな幸せ感に満たされた。日々の生活はこんな小さな出来事で一喜一憂しながら、生きているようだ。仕事が何もなければ寂しいし、あまりにも日程が詰まっていれば苦しいし、現実、夢の中に出てきたり心臓が早くなったり、早く逃れたいと思うのは人情である。ほど良い忙しさと程よいリラックス感がバランスよく起きてくれば、理想的であるが、世の中はそんなにうまくはできていない。人は誰でも天が与える出来事に向かっていくしかないのだ。こんな暖かい日が明日から急激に寒くなると思えば、今の喜びを素直に受け止めれば良いのだ。新聞に、退屈を生きる幸せ福寿草(尻無浜一美)の句があった。あまりすることがなくて退屈と感じることも、見方によっては幸せなのかもしれない。平凡に生きられれば、それは素晴らしいことである。何かをやってみたい気持ちと、全てが終わって楽になりたい気持ちが、交互に起きてきて、人は迷いながら今を生きているのであろう。自分の今は、このブログを書くこと、それが終わればお風呂に入り夕食をいただく、まあこれも自分にとっては大切な楽しい時間なのである。平凡が一番か。
