支えあう

全くうっかりしていた。今は土曜日の夕方、ブログを書く日であり時間なのだが、ぼーっとしていたのか、全く頭の中から離れていた。今日は何があったのだろう、もちろん 仕事もし、スポーツ ジムにも行ったが、 今日は冬空の晴天とはいかず、外はどんよりとした曇り空で、どこか肌寒い。こんな日はスカッと元気の出る話というより、なんとなく景気の悪い話しか出てこないが、まあ許してもらおう。ほとんど脈略も無く書くしかないが、昨日金曜日はビデオ録画している朝ドラの番組を見る曜日と決めている。夕食の時間に見ているのだが、戦後の日本が荒れ果てた時代に生きることに必死の人たちの会話が、現在とは全くかけ離れているけれども、身近に感じた。ブギウギの歌手が主人公の物語だが、夜の有楽町あたりに出かけていって会話をするシーンがあった。敗戦国日本の厳しい状況の中で、なんとか生きていく夜の女性たちの悲しみと厳しい状況に心打たれた主人公が会話をするシーンが、妙に印象に残った。華やかな舞台で踊る歌手と、夜の女性たちとのギャップは大きい。自分が惨めな状況にあればあるほど、人から施しを受けたくない、同情されたくない、哀れだと思われたくない、上から目線で見られたくないというのは、人の矜持でありプライドである。主人公の歌手が言った言葉が、わても必死なんや、そんな関西弁だったと思う。確かにこの時代はどんな職業に就いている人も、必死に働かなければ食べることができない時代である。その言葉で互いが必死にもがいていることに共感したシーンだった。多少きれいごとのシーンかもしれないが、多分本音の言葉だったのだろう。それに比べれば、自分の置かれた境遇などは苦労とか厳しいとかいうことはできない。しかしどんな人も全く何もなく華麗に生きている人はいないのだ。生きていれば多少とも嫌なことや思いどうりにならないことも起きるだろう。それでもなんとかもがいて生きていくのだ。たしか山本周五郎の小説だったと思うが、苦しみてもなお働け、この世は修行である、という言葉があったと思う。この世は修行かと言われれば、そうかもしれないと思う。自分にも今日はさざ波のような小さな浮き沈みがあった。それでよいのだ、能登の被災地の皆さんのことを思えば、なんでもない。新聞に、倒壊の家に降る雪静かなり(大川勇)の句があった。神は何とむごいことをするのだろうかと、誰もが思っているに違いない。厳しい寒さの中で手を取り合って生きていくのだろうか、そう思えば終戦後の食べるのがやっとの時代の苦しさも、能登の被災地の人たちも、自分たちのような境遇であっても、小さな波がやってくる。そして互いに助け合って生きていくのか。同じ日付の新聞に、避難所に支えあう声冬の星、作者は鈴木としか読めなかったが、このような句を読むと、人の優しさが身に染みて、どんなことでも乗り越えられそうな気がする。離れて暮らしている子供や孫のことだけでなく、ウクライナもガザも能登の人たちにも、幸せが来るように祈らずにはいられない。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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