パソコン

今は火曜日の夕方、南向きの窓から明るい青空が見え、2月中旬にしては暖かい光が差し込んでくる。こんな日はどことなく心も軽やかで、静かな気持ちで画面に向かっている。実はこの画面は新しいPCなのである。数日前に電気専門店に行って、まるで衝動買いのように、即座に買ってしまった。机の上には2台のパソコンがあって、どちらもそんなに古くはない。だが何か不具合があると、それを直すのに時間がかかって、仕事に支障が出てくるのだ。先般も自分の気に入ってる軽量のパソコンを持って、講演会場に行ったら、どうしてもプロジェクターの端子と繋がらなかった。理由がどうしてもわからない。会場にいた技術者が、このPCの端子がおかしいと言った。まだ1年半程度の新しいマシンなのに、ハード的な故障があるとは、これは運が悪かったのだと思ったのだが、プロジェクターに繋がらなければ、いくら性能が良いと言っても、宝の持ち腐れである。またバッテリーが弱く長持ちしない。もう一方のパソコンも気に入っているが、持ち運び用にはふさわしくない。重量があるからだ。どうしても理由がわからないが、キーボード入力で文字が表示通りに出てこないことがある、信じられないことが起きるパソコンだったので、量販店に行ったのは自分の意志というより、何かに引きずられて入ったのだ。パソコンをお店で買ったことはなく、ほとんどがネットで注文していたが、このような故障が起きた場合の対応がかなり煩雑で、返品や修理などが相当に面倒なのである。だから足が量販店に向かった。店員さんと話をしながら、購入するつもりはまるでなかった、ただ自分の欲しいモバイル系のパソコンを見ようとしただけだった。だがそれなりに高価であったが、買った。実は色も気に入らずハードディスクの容量やCPUの速度も。自分の希望には少し不足していたが、目に見えぬ何かが背中を押したのか、買った。それから書斎に持ってきたが、机の上には、もはや置くスペースがないのだ。3台をどうやって並べれば良いのだ、第一にどうやって使うのだ、ダンボール箱をそのままにして、急ぐ用事を2台のパソコンでこなしていった。少し後悔した。スペックは今の2台の方がむしろ上で、何のために自分は買ったのだろうか、自己肯定感が急速に下がっていった。日曜日は午前中にオンライン講演をして、午後は都内でイベントに参加し、懇親会にも出て夜遅く帰宅した。月曜日は幸い休日で書斎に入ったら、手付かずの箱が、そのまま書類の上に無造作に置かれていた。もし人間だったら、自分を恨めしく思って小言を言ったにちがいない。昨日ようやく時間が取れたので、ダンボールの蓋を開けて新品のパソコンを取り出した。かわいそうにと思い、早速にいくつかの設定を始めた。最近のパソコンはよくできていて、同期をさせると細かい作業はいらない。なるほど、そういうことか、昨日で全て設定は終了し、今日は快適に動いている。3台を並べるために、机の前の棚に置いてある書類や本を片付けたら、雰囲気が違ってきた。そして今日は3つのオンラインの会議があったが、新しいPCを使った。快適に動くじゃないか、何も心配することはないのだ、何も自己卑下することもないのだ、このパソコンは自分にとって最も必要な道具なのだ、あの時買ってよかった、明日は市内の学校で講演をしなければならない、もしプロジェクターに繋がらなかったら、恥をかいてしまうだろう、自分を救ってくれたのだ。文脈は違うが、新聞に、「惚(ぼ)けたかも」息子に言へば気にもせず俺の名前を言ってみなと言う(大森由紀子)の句があった。おかしくて面白い。悔やんでいたのは自分だけなのか、他人から見ればなんでもないことなのだ、この世の出来事はすべて同じようなものだろう、深刻に悩んでいるようなことも、他人から見れば、ごく普通の出来事に過ぎないのか、そう思えば、この世の中も、まんざらでもなく、生きるに足りる世界である。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

コメントを残す