今は木曜日の昼間、もちろんブログを書く時刻とすれば変則的だが、いつも書いてるように、この時間しか空いていない。明日金曜日は都内に出かけ帰宅が夜になり、そのため土曜日に書こうと思ったが、翌週がずっと出かけることが多く、ブログを書く時間がない。と言っても週2回は書くと公言しているので、来週の分の1回を日曜日に書くしかないと思い、手帳に入れている。なかなか予定通りにはいかない、いろんな用事や仕事が重なったからだが、特に審査系の仕事はかなりの時間と神経を使う。相手もずいぶん考え努力し申請書や書類を作成していると思うが、審査する側も表面ではなく、その背後にある意図を読み取って審査しなければならないので、1か所でも気がかりな点があると、時間がかかってしまうのである。小学校の校長先生が書かれた申請書は、なるほど子供思いの優しい先生だと思い、高等学校の校長先生や教員が書かれた申請書は、高校生を相手にしている書き方だなあと、その背景が文章の行間から漂ってくるような気がする。自分も学校を出て最初の就職は高等学校の教員だったせいか、高校の先生が書いた文章やレポートはなじみがあって、この先生はこんなことを思っているのか、自分も若い頃はこんな感じだったか、などと思うことがある。仕事で相手にしている年齢によって、感じ方や話し方や書き方なども変わってくるようだ。高校・大学はほぼ似たような文化を持っているが、大学院生は研究や大人のイメージがして、また別の感じ方がある。今の自分が所属する団体は、若い人もいるが、ほとんどが中年以降の大人である、企業からの出向者が多いので、IT企業か出版企業と雰囲気はほとんど変わらない。仕事上で読む書類なども、正直言うとあまり面白いことはなく、予算や決算では数字が並んでおり、事業計画や事業報告なども、無味乾燥で心がワクワクすることはあまりない。根っからの企業経営者であれば、数字一つ一つや事業内容そのものに喜びがあるかもしれないが、自分のアイデンティティは、高校か大学・大学院のような学校文化にあるから、高校教員が書いた申請書を見ると、なんとなく文体で懐かしいような気がする。文脈は遠く離れるが、新聞に、再会の手袋咥(くわ)へ脱ぐ握手(深沢ふさ江)の句があった。久しぶりの再会なので、懐かしさのあまりすぐに握手したいと思って、手袋を口で咥えて満面の笑みを浮かべて、昔話をする光景が目に浮かぶ。誰もが、学校のことを思えば心が和むのは、かつての自分を思い出すからだろう。学校は誰もが経験している、小学校では優しい先生を、中学校では生意気盛りだから好き嫌いがはっきりした先生、高校では何やら難しそうな授業した先生、名前も忘れてあだ名だけ覚えてる先生、どれを思い出しても、まだ世の中の苦労を知らない年代なので、学校は桃源郷のような楽園だったのかと、誰でも思うだろう。そんなことを思いながら審査をしたので、時間がかかってしまった。
