今は火曜日の朝である。この変則的な時間にブログを書くのは、もちろん事情がある。今日の夕方が良いのだが、出張があって帰りが夜になるので、書く時間がなく、昨日月曜日の夕方に書こうと思ったのだが、仕事が長引いて時間がなかった。今日は午前に出かけるので、その前にと思って画面に向かっている。誰でもいつの時代でもさざ波のように、楽しいことと面白くないことがやってくる。自分も含めてそれは誰でも経験することで、しかも年齢に関係なくやってくる。忙しい忙しいと言いながら毎日を乗り越えているのは、就職してからずっと続いている。思えば、お正月に家族全員が久しぶりに集まって楽しく懇談したとか、温泉に行ってゆったりと過ごしたとか、海外旅行に行って夢中になって観光したとか、そんな楽しい時もあった。そうかと思えば、仕事で人間関係に悩んだり、それに巻き込まれたり、身内に病人が出たりなど、日常茶飯時のように起きている。能登地方の大地震のように、家が壊れたり身内が亡くなったり仕事ができなくなったりするような大事件は起きなくても、小さな波は絶えずやってくる。そして人は時々振り返って、今まだこうして生活できたり仕事ができたり楽しみもあったりして、まあ良いではないかと思いながら、過ごしていくのだろう。メールを見ると、問題を抱えた人からの相談事もあり、自分も忙しいのにそこに労力をかけるのはと思いながらも、多少ともお役に立てるならと思って、頭を悩ませたりすることもある。訃報のメールを受けて何とも侘しい気持ちになったり、ある人が厳しい事態になって、こんな状況でも規則正しい生活をして乗り越えていきたいという決意の知らせを読んで、自分の方が教えられた。すべての人が、もがき努力をし乗り越えようとしている。人はなんと健気にも困難に立ち向かおうとしているのかと思うと、人は、お互いが生きる知恵を学びあっているのだ。特に困難に出会った時に、その人の生き様が発揮されるように思う。新聞に、フーフーしてパパの手動く児の口へ能登震災の避難所の中(大西国子)の句があった。この父親は生きる勇気も失せるような絶望的な避難所生活であっても、良きパパでありたいと願いながら、我が子が丈夫に育つように、祈るような思いで食事をさせているに違いない。厳しい現実であっても、人はなんと勇気を出して立ち向かおうとするのだろうか。自分の信条は若い時から、まっすぐに生きることであるが、自分がそのような状況になった時、どうなるだろうか。
