脳のしわざ

今日はなぜか 忙しい1日であった。なぜかではなく、午後1時から4時半までオンラインの審査があったからで、ずっと パソコンの前に座りっぱなしで仕事をした。いつも思うのだが、この審査は気を使う。そして自分の能力の無さにふと不安になったりする。もう何十年もこの審査をしており、ベテランの域になっているのに、なかなか自信は生まれてこない。この世の中には、当たり前だが専門家がいる。 例えば 小学校の先生は小学校の授業をする専門家であり、自分は素人である。このブログではいつもそのようなことを書いているが、自分が最も苦手とするのは、小学校の授業参観をして講演することである。専門家の前で素人が話をして恥をかくような思いが自分にあるので、いつも悩む。だから今でも小中学校の授業を参観して、先生方に教わっている。文字通り、自分は全身を耳にし 目にして、 授業参観 から吸収しようとする。それでも 専門家の域に達するのは無理で、いわば戦力外の野球選手である。ただし自分の専門領域に入れば、自分はプロと言って良いだろう。そこの架け橋が難しいのである。今日の審査は、また別の分野の専門家を求めているようで、自分は中途半端なのだろうと思う。半分は専門的な知識が役立つが、残りの半分は、表現が難しいが、別の専門性が求められる。それが自分には不足していると自覚している。それはどうしたら得られるのか分からない。いつも思うことだが、教育という分野は極めて幅広い、そしてさらに細分化された分野の専門家が存在して、自分はそれに対抗しようとしているので、どだい無理なのであると言いながら、自分を慰めている。忙しい忙しいと言いながら、今日も暮れていく。あっという間に1月も下旬になった。凡人は時の流れに身を任せるしかないだろう、日々を精一杯生きていけば何とか乗り切っていけるだろう、審査の合間に、メールを読んで返事を書き、思いついたことをメモ書きして、忘れないように手帳とクラウドのカレンダーに書き込んでいるが、多分このような作業が自分の脳がボケるまで続いていくだろうと思えば、正常に脳は働いてるのだ。ありがたいのだ。新聞に、壊れゆく脳持つ母は突然に仁王のような顔で怒りぬ(佐々木節子)の句があった。確かに認知症を患っている老人にはこのような症状がある。ということは、イライラしたり怒ったり不安になったりすることは、性格というより脳の仕業なのかとふと思う。人は病気になったら体のどこかが壊れているのだ、おもちゃの部品が壊れるように、人の体も脳も少しずつ形が変わっていく。仕事をしたり生活をしたりする上で、人間関係は大きな問題で、それが人を苦しめ悩むのだが、それは性格ではなく、また人間関係でもなく、脳や体の故障なのだと思えば、少し気が楽になるかもしれない。性格とは全人格を示す言葉だから、相手を全否定しなければならなくなる。そうではないと思った方が、人の生き方とすれば楽である。今日は精一杯仕事をした、そして自分の能力の至らなさを感じたが、それも脳が成せる結果だから、自分の能力が否定されたわけではなく、人間が劣っているわけではないと思うと、また明日も頑張ろうかと思う。人はずいぶん単純な生き物のようである。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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