今日は土曜日、今は夕方であるが、晴天の冬空と違って朝からどんよりとした曇り空、そして昼間はずっと雨が降っていた。こんな時、人はなんとなく憂鬱になるのかもしれないが、自分は 意外にそうでもない。午前中に資料作りをやっていて、それが思いのほか出来が良かったからかもしれない。誰でも同じだと思うが、画面に向かって、あーでもないこうでもないと言いながら、資料作りをしている時には、独り言を言ったりするので、外から見ると多分変な人だと思われるだろう。資料作りでも何の仕事でも、画面と人との対話である。だから 自分の意識では、物理的な画面ではなく中にある情報なのだが、それは擬人化されている ような感覚と言ってもよい。あーでもないこうでもないとは、自分に言い聞かせ自分が答えているのだが、相手はやはり 画面の中の情報なので、バフチンの言う画面と自己対話しているのであろう。 年を取ってくると、いろんな機能が衰えるのは自然なのだが、 不思議に自分の専門の知識はあまり下降しているようには思えない。年齢にあった感じ方や考え方ができるので、それはそれで世の中に役立つこともある。講演を例に取れば、どこか 若い頃とは違った深さ、あるいは渋みと言っても良いが、別の味が出てくるような気がする。午前中にその仕事で少し自己肯定感が高まったせいか、外の天気はどうであれ内心は自分もまんざらではないと思っているようで、多少気持ちが弾んだ。その勢いに乗って、スポーツジムに行ったが 、この寒さと雨のせいか人はあまり多くなかった。そのためプールで長めに泳いだ。帰宅して、運動すると喉が渇くので冷蔵庫に冷やしてあるペットボトルの水とみかんを口に入れ、その後食卓にある沢庵やら白菜やら塩昆布やらをつまみ食いした。そうするとまた喉が渇くので、お茶を飲むのだが、これは熱いお茶でないと相性が悪い。そう言えば、午前中も仕事をしながら、頻繁に1階の居間に行って漬物とお茶でつまみ食いをしていた。この年になると、お菓子だの饅頭だの甘いものは避けるようになる、つまり嗜好品は年齢と共に変わっていき、気力体力なども衰えていくが、自分の専門だけはどうも別の法則に左右されてるようだ。こんな他愛もないブログを書いて少し恥ずかしいが、お許しいただきたい。全く文脈も離れているが新聞に、首輪 より三割引の札下げて子犬は見知らぬ我に尾をふる(鈴木興山)の句が目を引いた。思わず笑ってしまった。無邪気な子犬が可愛らしい 。自分が若い頃の年寄りのイメージは、縁側などに腰掛けて漬物とお茶を飲みながら、近所の人と世間話をし、暖かい日光を浴びて、ゆったりと過ごしている光景である。庭には子犬などが昼寝でもしてるような、そんな気がする。自分も毎朝、庭に雀の餌をやって雀が食べるのを眺めている。年を取るとは、そんな童謡のような世界に戻ることなのだろうか。 まあ生きているだけで有難いということか。
