今は月曜日の夕方だが、明日いろいろ忙しいので、今の時間にブログを書こうと思う。今日も素晴らしい冬空で、雲ひとつない晴天が毎日続いている。南向きの書斎の窓から外を見ると、マンションの規則正しい明かりが灯り、その背景は薄青色に西空の薄赤色が混じった、色鉛筆で描いたような空模様を映し出している。今の時刻はホッとして今日一日を振り返る時刻である。小さな一日でもいろんなことがあって、メールを見ると順調だと思うことと、あれっと思うことが混じって、意欲が湧かないようなメールを見れば、そっとしておこうと誰でも思うだろう。相手にも都合があり、こちらも都合があるから、両方とも満足のいくことは、この世ではなかなか難しいことなのだ。それでもちょっとしたことで気持ちが和らぐことがある。今朝庭にある梅の木を見たら、小さなピンク色の花が咲いていた。おお、もう梅の花か、少し早いが春の兆しが見えてきたかと、どこか嬉しくなった。毎日のように梅の木を見ていると、小枝の先に数ミリの小さな小さな赤い芽がついて、花が咲くのはまだ先だろうと思っていたが、今日その花を見て、あっと叫んだ。まるで生まれたばかりの赤ちゃんのようで、可憐で可愛くて、それでいて風が吹いても花びらは散らず、凛とした姿が日本人好みなのだろう。月曜日は朝刊に俳句や短歌が掲載されるので、いつも朝食の後、和室でじっくりと歌壇欄を読むが、誰でも同じような思いをするのだろうか、ちょうどぴったりの俳句があったので、引用する。陽を見つめ星に目つむり冬木の芽(小俣敦美)、冬木(ふゆき)とは冬の季語で冬枯れの一枚の葉もない寂しげな木の様子を隠喩しているらしいが、そこにちらほら芽が出てきて、そして小さな花を咲かせると、誰でも嬉しくなり大切にしたくなるだろう。そう思うと、いろんなことがあっても、まあいいではないかというような気持ちになる。オンラインで会議があり、原稿を書き、書類を整理したりしながら、俳句や短歌を読み、一日が暮れていけば平凡ながらありがたいのである。自分の椅子の後ろに加湿器があって、湯気が出口から斜め上方に向かって吹き出している。実は古い加湿器が壊れて、昨日電気屋に行って買ったのだが、少し小さめのものにしたせいか、どこか可愛らしい。小さなものはすべて愛されるようだ。小さな梅の花を愛で、新聞の俳句や短歌を和室で読み、書斎で加湿器から湯気が出るのを眺め、オンラインで会議をしたり原稿を書いたりしながら、一日が暮れていく。自分のやっていることは小さなことで、あまりお役には立っていないが、なんとか平穏無事にこれからも生きていきたい。今日のメールで、古い友人の訃報に接し、少し感傷的な気分になったが、自分はどんなことがあっても、生かしてもらえるなら末永くと思う。友のご冥福を祈りながら、自分の今の境遇は、まことに贅沢だと自覚した。今後は、不平を言うまいと思った。
