今は土曜日の夕方、書斎の窓から見える空は、と言っても真っ暗で何も見えない。久しぶりの休みだったので、久しぶりにスポーツジムに行って帰ってきて、昼間にやり残していた仕事の続きをしていたのだが、家内が1階から上がってきて、雪だよと自分に告げた。嘘だろうと言ったのだが、1階に降りて庭を見ると確かに真っ白になっている。そうか初雪か、どうりで寒いと思った、子供や犬は雪を見て喜ぶが、今時は能登地方の大地震を思い出してどうしているのだろうと、思いはそこに行ってしまう。さぞ寒かろうと思う、こんな日は暖かい料理がことのほか嬉しく心が和むだろう。被災地を映し出すテレビ画面の中でも、食事時の湯気の出ているような暖かい料理を映し出していた。学校の給食のようにお椀にたくさんの食材が入っている汁物を入れて、全員に配布しているのだが、もらったお年寄りが頭を下げてお礼を言っている。もちろん日本人なら当たり前の光景だが、ふと思う。なんと日本人は礼儀正しいのだろうか、どんな時でも相手に対して礼をつくすのは、古いと言われようとなんと言われようと世界に誇れる美徳である。私たちの祖先からずっと受け継いできた、若い人たちに伝えていきたい優れた文化である。今日もスポーツジムでシャワーを浴びていたら、自分の前に使っていた人が、すいませんシャワーの下に下着を忘れていたのでと、下着を取りに来た。自分ももちろんどうぞどうぞと言って返事をしたが、その人の恥ずかしそうな表情やいかにも申し訳なさそうな声で、シャワー室に入ってきたので、そんなに恐縮しなくてもいいのにと思ったが、なるほどこれが日本人なのだと妙に納得した。そんな言葉遣いや仕草から、この人もきっといい人なのだなぁと思った。こんな些細なことでもどこか心が温まる。能登の被災地は歯がゆいぐらい厳しい環境ばかりで、天は助けてくれないのかと思うのだが、テレビ画面に映る人々はどこか柔和で他人への思いやりが豊かな日本人の原点のような人たちで満ちているような気がする。新聞の編集手帳に、俳句や短歌ではないが、紹介されていた。被災せし老婆の口をもれいづる「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」そんなことを言わなくてもいいのにと、誰でも声をかけたくなる。今回の大地震のニュースを映像で見たり新聞で読んだするたびに、日本人の優しさと人間としての素晴らしさを感じた。自分も日本人で良かった、なんとか被災地の人たちに手を差し伸べたいが、どうにもならない。ただ一日でも早く一刻でも早く日常生活に戻って欲しいと願うばかりである。この世にはどうにもならないことも多いが、瓦礫や壊れた家などの無残な光景の中にも、清楚で美しい花があちこちに咲いているのかと思うと、心が救われるような気がする。
