肝っ玉母さん

今日は1月2日、時刻は夕方といっても外はもう真っ暗で夜である。まだお正月なのだが、その気分はどこかに吹っ飛んでしまった。とは言っても、心中はなかなか複雑である。大晦日恒例の紅白歌合戦やら、にぎやかな番組で華やいだ雰囲気の中で、昨年一年を見送った。里帰りした子どもたちや孫たちと一緒に楽しんだが、年齢には勝てず、午後10時になったら、もう床についた。久しぶりの日本酒が効いて楽しい夢でも見るかと思ったが、現実はとんでもない自然災害が起きた。お昼はお正月らしい雰囲気の中で、ワイワイガヤガヤ近況の報告をしたり楽しい思い出を語ったり厳しい仕事の話をしたり、それはそれで幸せな一時だった。その雰囲気をテレビ番組が突然に釘刺した。緊急避難してくださいという声はどこかうわずっており、平静が売り物のアナウンサーにしては失格とも言えるような感情的な声であった。石川県能登地方を中心に大地震があり、津波が起き火事を起こし道路が寸断されるという災害予報であった。NHKもすべての民放も、この地震速報でうめられて、元旦の特別番組はすべてキャンセルされた。民放ではスポンサーに対してどのような対応するのだろうか大損害なのだろうなどと、つまらぬ連想をしたが、地震速報で元旦気分が一掃された。しかし人間とは誠に現金なもので、子や孫に囲まれ美味しい手巻寿司に舌鼓を打ち、美味しいお酒を飲んで談笑してるうちに、テレビの緊急速報も上の空で、いいお正月だななどと呟いたりした。人は悲しいことも嬉しいことも辛いことも楽しいことも一緒にして、乗り切れる特性を持っているらしい。そうでなければ生きていることは難しいだろう。肝っ玉母さんのようにうろたえず堂々と世間を渡っていく根性が誰でも持っているらしい。今日は1月2日、お宮参りをして一年の無事と平穏を祈りつつ、お賽銭をあげて例年のように楽しんだ。おみくじを引いてこれが正月だなあと思った。当たるはずはないとは思いながらも、吉と出れば喜び凶と出ればがっかりするのは人の常である。当たるも八卦当たらぬも八卦のことわざを知っているから気休めなのだということは、吉であろうと凶であろうとおみくじだということが、肝っ玉母さんのような大らかな気持ちにさせるのである。今日の午前中は、箱根駅伝を見ながら地震のニュースも見ながら家族で雑談をした。そこに何の矛盾も感じないのは、人はそのようなものだからとしか言いようがない。文脈は全く離れるが、元旦の分厚い新聞には歌壇の欄はない、その代わり編集手帳に清少納言の文章、いと寒きに、火など急ぎおこして、が引用されていた。暖を取るために薪か炭火に火をつけたのであろう、現代ではエアコンのスイッチを入れて部屋を暖かくすることだが、昔も今も変わらない、寒いなといいながら暖をとることの嬉しさが伝わってくる。昔も今も幸せなひと時もあれば自然を恨みたくなるようなむごい出来事も起きてくる。そして時が過ぎ、大晦日にまた一年を振り返るのだろう。喜びも悲しみも自分の身にもやってくるだろう。その時はまた精一杯乗り切っていきたい。できれば肝っ玉母さんのようなどっしりとした気持ちで対応できたら、今年一年は安泰だろう。この寒い夜に家を焼かれた人々の悲しい気持ちに同情しながらも、申し訳ないが身内の幸せを願うのは、凡人であるがゆえにお許しいただきたい。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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