今は土曜日の夕方、久しぶりにスポーツジムに行って帰宅したところである。今日はブログを書くと手帳に書いてあるので、書斎に上がってここ数日間を振り返ってみる。なぜかわからないが忙しくせわしなく、なるほど師走とはよく言ったものだと、つまらぬことを納得した。仕事の区切りをつけることが多いからだろうか、都内に出かけたり書斎でオンライン会議に出席したり書類を調べたり、何かと仕事に振り回されている。そうは言っても、自分には有難いことなのだ。明日はクリスマスイブ、それが終われば一直線に大晦日に進んで新しい年が明ける。大晦日には子どもたち孫たちが我が家にやってきて、大賑わいの数日が過ぎていく。本来は除夜の鐘を聞きながら静かに一年を振り返り、年越し蕎麦でも食べて新年を迎えるのが自分の年齢には合っているのだが、どうもそうはいかない。紅白歌合戦よりも裏番組の昔の歌謡曲でも聞きたいところだが、若い者が来ればそうもいくまい。明日は近所にあるピザ屋さんでピザを買って、老夫婦二人で静かにすごしたい、といっても日曜日なので土日はなるべくスポーツジムに行くことを自分に課しており、さらに日頃なかなかできない家の周りの整理、つまり砂利を買ってきて敷きつめる仕事などがあってそれなりに忙しい。来週は水曜日までつまり三日間は都内や市内に出かける用事が入っている。その中には少し気乗りのしない頭の痛い仕事もあるが、それでよいのだ。趣味と仕事は違うので、このぐらいでちょうどバランスが取れている。しかしこの時期は年末のテレビ特別番組が賑わうが、お笑い系や若い人たちのはしゃぎぶりにはついていけず、この頃は録画番組を見ることも多い。世の中が騒がしくなると、人はどこか静かに過ごしたくなるのか、自分を見つめたくなるのか、書斎でネット検索でもしていると心が落ち着くようだ。午前中はオンラインの打ち合わせもあったが、その他は自分の興味のある研究の関連文献を探していた。それは自分だけの孤独な作業なのだが、それなりに面白い知的活動なので静かな満足感がある。その意味では、この時期は一人で考えたり昔の事を思い出したりするような思索する活動に適している。じっくり文献を探して読んだり、哲学的な考察をしたくなるようだ。文脈から外れるが、新聞に、青鷺よお前も寡夫か白鷺の群れより離れ遠くを見つむ(藤谷明)の句があった。この作者は奥さんに先立たれた寂しい思いを抱きながら、鷺を見つめていたのだろう。スポーツジムからの帰り道、自宅のすぐ近くの小川に数羽から十羽ぐらいの鴨がいて、その鴨に混じって一羽の白い鳥がいる。その鳥が白鳥なのか白鷺なのか自分はわからないが、鳥は川の水につかって寒くはないのかとつまらぬことを思ったりする。その光景が人々の気持ちに癒しを与えてくれるのか、通りすがりの人がよくこの鳥たちの姿を眺めている。冬型の高気圧が張り出してるせいか、この頃は毎日が晴天で真っ青な空が小川の向こうに見えてうっすらと茜色の夕焼けが彩ることもある。なんときれいなと思う気持ちと、鴨と白い鳥の組み合わせがどこか寂寥感をもたらしている。この世の中は、テレビの派手な映像と書斎での静かなひと時と、自然のはっと息をのむような美しさと鴨と白い鳥が小川に佇んでいるわびしさと共存し共鳴しながら、時を刻んでいるようだ。確かに年末である。また一つ年をとるのか、楽しいような寂しいような年の瀬がやってきた。
