月日が過ぎていく

今は火曜日の夕方というか夜に近い。先ほどまでメールをチェックして返信をしなくてはならないメールがあって、それに戸惑っていた。簡単な返信ならよいが色々調べなければならない内容を含んでいると、それなりに時間がかかる。昨日も今日も都内での仕事があって出かけた。それは充実感があって、今自分はちゃんと社会人としての役割を果たしていると、素直に自分を認めることができるので、内心は嬉しいのだ。ただ時間がかなり取られるので、メールの返信や調べものなどは滞ってしまい、その中身も密度が薄くなって、内心もう少し丁寧な内容にしたいという気持ちが起きる。しかしそれは仕方がない。それが仕事のバランスというものだろう。今日は都心で講演をしたのでレベルで言えば深い仕事で、先ほどのメールの返信などは浅い仕事と言えよう。職業に貴賎はなしと同じように、仕事に浅いも深いもないのだということは頭の中ではわかっていても、現実には大きな差がある。総理大臣などは外から見ているとよく頑張っていると思うのだが、世間の評価は厳しく支持率は下がる一方で、新聞などで報道されるグラフを見ると、本人はどのように感じるのだろうか。一般市民には窺い知ることができないような悲しみややりきれなさがあるのではないだろうか。大臣でも凡人でも人の子、良いことがあれば喜びうまくいかなければ逃げ出したくなるような気持ちは同じだろう。自分たちのような世界でも浮き沈みがあって、感情の起伏の中で生活しているようなものである。このブログでもよく書いてるが、自分の生活はその浮き沈み、小舟に乗って大海を渡っているようなもので、波にもまれて進んでいるが、なるべく大波は来ないで欲しいと願っている。そしてなんとか向こう岸までたどり着きたいと魯を漕いでいるのかもしれないが、無事にたどり着けるかどうかは天しか知らない。それでも漕ぐのを止めてしまえば前に進まない。たまに魚が捕れて喜んでみたり、逆風が吹いて戻ってみたりという、天から見ればたどたどしい動きなのだろう。喜びも悲しみも深い仕事も浅い仕事も混じりあって、月日が過ぎていく。新聞に、トップにはガザの惨状その次に柿がうまいと報ずる国か(野老功)の句があった。そのちぐはぐな報道に違和感を読み手は覚えたのであろうが、人の生き方とはそのようなものかもしれない。大きなことも小さなことも毎日起こっている。人はまるで蟻のように、せっせとその出来事に向かって少しずつ少しずつ事を動かしているのだ。考えてみれば凡人とはどこか可愛げのある生き物である。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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