時に狂ってみたくあり

今日は午前中に都内で、久しぶりの対面での会議に参加し、久しぶりにお昼を外食した。外食といってもカツ丼だった。実はカツ丼やカレーライスが好きで都内に電車通勤してた時はよく食べていたが、かかりつけのお医者さんから体重を減らせという定番の指示があって、蕎麦やうどんなどの低カロリーの食事にしていたが、久しぶりに都内に出かけると、その抑止力は低下して脂っこい丼ものを食べたりする。満腹になったせいか、帰りの電車の中では読もうとしていた本を手に持ったまま、ぐっすりと寝てしまった。駅から自宅に帰る道すがら、なんとなくお腹が重いような気がして、これはいけない、運動してバランスを取ろうなどと考えた。天気も良いしジョギングには最高の日和である。ただ自分には忸怩たる思いがあった。平日でお天道様が高い時間に、呑気に遊んでいてよいのかという天の声が聞こえてくるのだ。遊んでいるわけではない、ジョギングなのだと自分に言い聞かせても、なかなか長い間の習慣は頑固で何かのいいわけがないと、堂々と走ることができない。もう年なのだから研究やら仕事やらに身を任せるのもいいが、それと同じ位かそれ以上に健康を保つことが大切だと頭で分かっていても、心の奥の方に仏頂面したもう一人の自分がいる。こんなとき人はどうするのだろうか。この前、多作でよく知られている小説家のインタビューが、新聞に掲載されていた。それほどの流行作家でありながら、午前中に2時間午後も約3時間、仕事以外に時間を費やすという。才能あふれる作家でも執筆だけに時間を集中することはできず、それ以外のこと、それはスポーツであったり散歩であったりするだろうが、そのことで自分をコントロールしていることを知って、自分のような凡人は研究や仕事以外に時間を費やすことは当然であり、そうでなければ何もできないことを納得した。長い間努力は美徳なりと思っていたが、その考えを変える必要があるかもしれない。少し文脈は離れるが、新聞に、ハローウィン時に狂ってみたくあり(出利葉孝)の句があった。そうかハローウィンで仮装するのは、悪魔のような格好をして、善人である自分を年に一度だけ破ることなのか、仮装のいわれは知らないが、なんとなく気持ちはわかる。そういえばカリフォルニア・アーバインに家内と滞在していた頃、子供達がチックオタックと自分達には聞こえたが、我が家にもやってきた。買い物に行くと店員さんが演劇の役者のような恰好で応対していた。お店は年に一度の劇場なのか、みんなその日だけ変身していたのか。自分は長い間研究や仕事を美徳として信じ続けてきたが、それだけではないのかもしれないと、価値観が変わり始めている。それは心の中に、時に狂ってみたくなるもう一人の自分がいるからかもしれない。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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